富岡保育園へようこそ!「伸びる。成る。子どもも大人も互いに伸び合い、成長し合う『大きな家』でありたいと願い、社会福祉を支えています。

富岡保育園

副園長ブログ

評価ほど曖昧なものはないです。

あまくみていました。(いや、感心したんです。)

classエジソン(5歳児)の、ひとりの男の子が、帰り際に、お母さんへ向けて、それは息継ぎする暇もないくらいに、しゃべりかけていました。

「あのな、ママな、あのな、明日な、小学校へ行くけんな、帽子とな、水筒とな、靴とな、それでな、9時半までにな、行かんといけんけんな、明日な、早く保育園へな‥」


実は今日、富岡保育園の学区である笠岡市立中央小学校の運動会予行演習があるんだそうで、学校の先生から観覧に呼んでもらったんですね。

そんでもって、昨日のことに、classエジソンの子どもを招集して、観覧に向けての準備物などの打ち合わせが、保育者とお昼過ぎに行われていました。

classエジソンの子どもたちが集まっている姿を見たところ、いつもより注意深いようには感じました。が、いつものお散歩に毛が生えた程度のようなものだろうと、僕のほうがたかをくくってしまっていたんです。

冒頭に登場した、ひとりの男の子にとっては、それは、一大事といわんばかりに、お迎えの時に母親へ伝えていました。

ちなみに、ひとりの男の子の心配をよそに、母親は「わかった、わかった。いつも通り(8時ごろ)来れば大丈夫じゃけん。」と答えてはいました。が、いつもにない、男の子の懸命な伝える素振りに心を揺さぶられたんじゃないかと思うんです。

付箋として、僕もその懸命さに心を揺さぶられましたし、男の子が打ち合わせの内容を全部覚えていたことに感心しました。(感心したってことは、あまくみていたんでしょう。反省です。)

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現在、8時30分過ぎ。無事に、ひとりの男の子は登園しています。さっそく虫捕りに精を出していたところに「今日、いっしょに遊ぼうやぁ。」と、大人気なく誘ってみたのですが、あっさりと断られました。

「今日、学校へ行くけん、だめー。」

2023-05-16
鉛筆の芯が刺さっちゃったら!?

日本人の約25%が、すでに新型コロナウイルスに感染していると推察する報告があるようです。4人に1人ってことですかね。ブログ読者はいかがですか。ちなみに僕はまだのようです。

感染したものの、幸いにも重症化することなく軽快した方もおられるのではないかと思います。はっきりしたことはこれから分かってくるのでしょうが、ワクチン接種により死亡率や重症率は低下しているそうです。

ただ、幸いにも重症化しなかった場合にも、油断はできないようです。新型コロナウイルスに感染した後、2〜6週間経過してから重症化する例もあるんだとか。

欧米各国では、この遅れて重症化が起こる報告を受けて、子どもの新しい病気として「MIS-C」と名付けられているそうです。(フリガナを付けますと「ミスシー」です。)

MIS-Cでは、全身の血管に炎症が起こり、心臓や脳、神経や胃腸、腎臓、気管支、肺、皮膚などへ複数の障害を引き起こすそうです。

MIS-Cの症状として、発症時にほぼ発熱が起こるのだそうですが、抗原検査やPCR検査を行っても、ほとんどが陰性になるようです。

さらに注意点として、発症者の半数以上に循環不全が起こり、命の危険を伴うこと。循環不全とは、血圧が急激に下がり、全身に血液が行き渡らなくなる状態です。ですから、MIS-C(日本では「小児多系統炎症性症候群」)が疑われる場合は、速やかに医療機関へ。

と、いった具合に、次から次へと、新しい⁉︎知らない⁉︎病気があるみたいです。すべての病気についてを熟知することはできずとも、まずは日々の自分や家族の心身の健康に対して、素直に向き合うことはできるかと思います。子どもも大人も、「しんどいときは、しんどいと言える」そんな環境を作っていきましょう。


さて、本日は知ってると安心する耳寄り情報。「鉛筆の芯が刺さっちゃったら、どうする?」について、ご紹介したいと思います。

まず、鉛筆やシャープペンシルの芯は、主に粘土と黒鉛から作られていることから(炭素成分)、毒性はありません。なので、鉛筆やシャープペンシルの芯が刺さっちゃったとしても、命に関わることはありません。安心しましたかね。

まず、刺さった芯はピンセットなどで抜いて大丈夫。芯に毒性がないため、抜き取った後は、水で軽く洗い流すだけで十分で、消毒の必要もありません。

もしも抜き取る場合に、子どもが痛がったり、出血したりする場合などがあれば、医療機関で除去してもらいましょう。

ちなみに、刺さった芯をそのまんま皮膚に残した場合、芯が体の奥深くに移動していく・・・なんてことは、ありません。安心してください。基本的には刺さった場所に残り続けます。そして何ヶ月、何年かの月日を経て皮膚の表面へと移動し、自然に排出されます。安心してください。

付け加えとして、皮膚に黒鉛が残ったとしても、レーザー治療で消すことができますので、色素沈着を気にしているようであれば、レーザー治療の選択肢もあることを教えてあげても良いかもしれません。

※参考文献「健」2023 6月号


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2023-05-15
〇〇にピンと来ない原因

少子化について。子どもが減っていることが、良い悪いの話しではなくてね。減っている社会では、子どもをどのようにあつかうのか。どんどん存外に、もしくは玉手箱にでも入れるように‥

どのようにするかを、社会全体で考えるにあたり、貴重なヒントを得たので紹介したいと思います。お孫さんとは別居の70代男性と飲みニケーションをした際のことです。

「少子化問題について、テレビや新聞で見ても、どうもピンと来ないんだよな。」

お孫さんとは時々会うのだそうですが、たいていは、おばあちゃんという存在が面倒を見るようなので、会っても若干の距離があるんですね。

また、ご近所の子どもたちが減っていることは知っていても、交流が無いために、実感するには至らないんです。


2つ考えてみたいと思います。1つ目は『まちから子どもが消えていること』です。昭和61年生まれの僕の幼少期の頃には、田舎まちであれば、公園はもちろん、道路にも、ふらふらウロウロしている子どもたちが多くいました。たいしてやることがないために、ふらふらウロウロと歩いたり自転車を転がすわけです。ですが、現在では田舎まちの公園や道路ですら、ふらふらウロウロする子どもを見かけることはほとんどなくなりました。子どもの絶対数が少ないのも原因ではありますが、それと同時に、道路には自動車の存在が大きくなり、「やれ、危険だ!」との風潮が高まっているからでしょう。またニュースなとで取り上げられる不審者犯罪などの影響もあり、「子どもたちだけで遊ぶのは、危ない!」との認識になっていることも原因にあるはずなんです。すると、『まちから子どもが消える』ので、自然と近所も含めた地域の方々との交流、ないし顔を合わせる機会は減ってしまうんです。子どもたちは、iPadなどのデジタル機器の中でしか、ふらふらウロウロすることが出来ない社会になっちゃっているんでしょう。


2つ目は『保育が“専門性”を持ったこと』について。よく「専門性を持って保育しなきゃいけません!」と声高に言っている僕としては矛盾となる意見なのですがね。“専門性”を主張⁉︎強調⁉︎すればするほど、地域社会から隔離されていくように感じるんです。専門性を持つことで子どもたちに良い影響を与えるんだろうし、保育士の賃金にも良い影響を与えるんでしょうが‥ただ想像してみて下さい。大学などの専門機関の研究所に、あなたは気軽に足を運べますか?

すごい矛盾なのですが、保育や幼児教育などに携わる機関が、専門性を主張や強調すればするほど、専門家としての地位は上がったとしても、地域社会からは遠ざかっていく、もしくは敬遠される存在になりかねないんです。


『まちから子どもが消えたこと』そして『保育が専門性を持ったこと』、この2つが、少子化についてどうも“ピンと来ない”原因になっちゃっているんじゃないでしょうか。

だとするならば、副園長村上は、富岡保育園は、とみほ村は、どのような手段を講じるのでしょうか。現代から自動車やiPadなどを取り上げる、無くすことなんて芸当は出来ません。が、【保育園の中に地域社会を作る】なんて芸当なら出来るかもしれません。子どもや保育園の先生と交流する、顔を合わせる機会を作れば作るほど、少子化問題に、社会全体が“ピンと来る”ようになるんじゃないでしょうか。

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今年度は、自然農法で畑をデザイン
2023-05-14
距離感を制するものは保育を制す

飲食店などで見かけていた、お隣のお客様との間に設けられたアクリル板ボードが、あのウイルスの緩和により、徐々に撤収されていますね。

おもしろいもので、はじめは窮屈に違和感でしかなかったものが、撤収されると、それはそれで違和感があるんですよ。違和感の正体を考えてみたところ、それはお隣との“距離感”にあるんじゃないだろうかって。

実際の距離は同じでも、感覚が近く感じるんです。一枚の透明な板があるかないかで、これほど感覚が変わるものなんだなって、あらためて知るところでした。

アクリル板ボードの他にも、例えばマスク。こちらも外すだけで、お隣との“距離感”が変わるものです。実際の距離は同じでも、心と心の感覚が近く感じるものです。(ある種、心の距離を縮めたくない場合は、マスクを装着することが賢明だということも、あのウイルスのお陰で知ることができましたが。)

アクリル板ボードやマスクの他にも、例えばオンライン画面。こちらも画面越しであるかないかで、大きく変わるものだなって。画面がなければ言えないことも、画面越しであると言えちゃうこともあったりして。なぜ言えちゃうかって、そこには会って対面した時の“緊張感”がないからなんじゃないでしょうか。(緊張感が生まれないことで、言って良いことと悪いことの分別がつきづらくなったことも、あのウイルスのお陰で知ることができましたが。代表的な例はSNSでしょう。)


ここのところ、『飲みニケーション』に、ひどく熱心なんです、僕。

最近では、某保育雑誌のイケイケ編集者や東京の某若手園長先生たち。また某市役所の活気ある若手職員たちに、某自然農の哲人たち。昨日であれば、日中は某裏千家師範。夜の部は某まちづくり協議会理事の方々。めまぐるしく、「飲みに行きましょう!」と誘ってみたりしているんです。

なぜ、こうまで肝臓やらに負担をかけてまで『飲みニケーション』に熱心であるかは“距離感”を縮めたいからに他なりません。アクリル板やマスク、オンライン画面越しではない、会って対面することによって生まれる“緊張感”を持って“距離感”を縮めたいのです。

正直なところ、会話の9割はアルコールと同じ道を辿りながら記憶から消えていくものですが、“緊張感”をともにすることで“距離感”は必ず縮まるものです。

距離感を縮めて、相手から何かを得ようなどとは、ミリ単位でも思っていないので誤解のないようにお願いしたいです。僕が理想とする【親しき仲にも礼儀のある距離感】、道端ですれ違ったり見かけたりした場合にでも、会釈であったり挨拶ができることを目指しているのです。

なんだか当たり前の“距離感”に思うかもしれませんが、あのウイルスのお陰で一般的な“距離感”は変わってしまったと言っても過言じゃないと思っています。だからこその『飲みニケーション』なんです。分かってくれますかね、ただ単にアルコールを飲みたいだけじゃないんです。(某裏千家師範とはお抹茶で飲みニケーションを行いました。お宅に突撃したことにもこころよく許して下さり、ありがとうございました。)

※矛盾していることと言えば、親しき仲にも礼儀のある距離感を目指して飲んでいるにも関わらず、対面した緊張感をアルコールがほどよく解いてしまい、記憶のない言葉が紡がれてしまいかねないこと。ある種、距離感がひどくあきかねない、飲みニケーションが諸刃の剣であることを象徴しています。


保育園の公式ホームページで、なにをそんなに飲み飲み、飲み飲みって強調しているかって、それは保育実践のヒントが隠されているんだよってメッセージでもあるんです。

「先生と園児」の距離感。「先生と保護者」の距離感。「先生と先生」の距離感。この距離感に悩んじゃっている保育園の先生方が多いんじゃないでしょうか。なぜ悩んじゃうかって、あのウイルスのお陰で一般的な距離感が変わっちゃったことを自覚しつつも、その一般的になってしまった距離感が保育実践上には上手く当てはまらないことを感じているからです。ですよね、悩んじゃっている方?

だからこそ、その当てはまらないGAPのある距離感を埋める必要があるんです。わざわざアルコールを入れなくとも、例えば「先生と保護者」であれば、お迎えに来られた時に一杯お茶を飲み交わしながらコミュニケーションをとる。「先生と先生」でも同様です。アクリル板とマスクとオンライン画面越しでない環境を作っちゃえばいいんです、早い話。

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ひどく、まとまりに欠けた文章でしたが、それだけ“距離感”に試行錯誤し、こだわることが、特に今年度(あのウイルス緩和後)の保育のキーポイントで、大事なんだなって、伝わってくれれば‥。

ほどよい距離感を、吟味中。
2023-05-13
人類の歴史に素直な保育実践です

「異年齢児保育」について、すこし整理整頓しておこうと思います。

いわゆる、異なる年齢児集団での保育だと認識されているかもしれません。同じお部屋や、活動に、5歳児や3歳児、2歳児などが混ざり合っていることをイメージするかもしれません。

が、もう1つ、異様な年齢児集団での保育との認識ができるんじゃないかとも僕は思っています。同じ部屋や、活動に、5歳児が30人ほど混ざり合っていることをイメージして下さい。この場面に「え!?異様でもなくて、普通じゃないんですか?村上先生、意識はたしかですか!?」なんて感想を抱くかもしれません。


そもそも、僕たち人類は、その700万年の歴史のうち、99%は狩猟採取民族として生きてきたんですね。定住したり農耕をはじめたのは、実はつい最近。僕を含めて学校で習った、戦国時代や江戸時代なんてものも、ホントにごくごく最近のことなんです。ちなみにスマホなんてデジタル社会なんてものは、ごくごくが言い切れないほどに最近のことです。

長ったらしく講釈しましたが、つまりは人類の進化の過程で、現代人の心身や脳は、その99%の過程、いや99.9999‥%の過程で、スマホも学校もない社会で作られたんです。

その99.9‥%の過程が、人類の心身や脳を育むことに有益であることは、読者の皆さまも察するところではないでしょうか?


たぶんこのあたりまで読み進めて下さった方の中には「わかるよ。その考え方も。だけど、今、全部の社会や生活を狩猟採取民族の時代に戻すことなんて絶対無理じゃん!いくら心身や脳に良いっていっても、無理なもんは無理でしょ!」なんてツッコミを入れてくれたかと思います。

人類の心身や脳の構造と、現代社会や生活の、その大きなギャップが、現代病といわれるものにつながっていることも察するけど、無理だと思えば察したくないところなのかもしれません。

けれども、しょうしょうお待ちください。全部の社会や生活を人類の心身や脳を作る上で最適な狩猟採取民族時代に戻すことは出来ずとも、一部は可能なんじゃないでしょうか。実はそれが心身や脳を作る土台である“保育や教育”だと思うんです。

狩猟採取民族の時代、集団は複数の家族で形成されていました。50人〜150人くらいでしょうか。そのうちで同じ年齢の子どもが20人や30人いるでしょうか。双子でも間に合わず10つ子ぐらい産まないと間に合わないかもしれませんよね。タイムスリップができないので、あくまでも推測になりますが、狩猟採取民族の時代は、異なる年齢集団で、集団が形成されていたはずなんです。そしてその集団の中で揉まれながら、心身や脳を健全に育成させていたはずなんです。


「異なる年齢児保育」について、“心身と脳の健全な育成”という観点から見ると、「人類の歴史に素直な保育」とも言い換えられるんじゃないでしょうか。

逆に、「同じ年齢児集団」については「人類の歴史に逆らった保育」とも言い換えられるかもしれません。なので、「同じ年齢児集団」を「異様な年齢児集団」と僕は考えてみたんだと思うんです。


最後に、このような僕のような考え方は、実は珍しくもなく、保育・教育業界でも、なにかの本を少しでも齧れば(かじる)知っていることなんです。にも関わらず、その異様な「同じ年齢児集団」を保育や教育の場面で扱うには、それ相応のメリットがあるからなんですね。そのメリットのキーワードは“競争”と“管理”だということは言うまでもないでしょう。


富岡保育園・クレヨンKIDSでは「人類の歴史に素直な保育」に重点を置いています。年下の子どもが年上の子どもに憧れたり真似をしたりするだけではなく、年上の子どもがリーダーシップや愛情を込めた世話などを学ぶ機会にもなっています。

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亀の飼育だらいに、人だかり
園庭で、小さな亀を捕まえたみたい
2023-05-12
やわらかいな、ぬるぬるしてるな

富岡保育園・クレヨンKIDSには、「Narrative Tree」という、現場保育者の綴るエピソード記録に近い書き物があります。“Narrative”とは日本語にすると“物語”と訳すことができます。“物語”と言えば“Story”とも英訳できますが、“Narrative”と“Story”とでは、若干のニュアンスが違うんだそうです。“Narrative”の方の“物語”は、見る人や書き手が感じることで成立する物語と思っていただけたら。書き手だけでは完結しない、まとまらない、いわゆる書き手の喜びもあれば悩みなどをぶちまけた物語だと言っても良いのではないでしょうか。

本日、紹介させていただきます“Narrative Tree”は、実はNarrative Tree初心者マーク付きの現場保育者のものです。書き物って、小説家やブロガーなどでなければ、出来れば書きたくないと思ってしまいがちかもしれません。ただですね、僕は現場保育者に対して綴ることを、背中を押すように(1ヶ月に1回程度)すすめています。(理由を知りたい方は、副園長村上までお問い合わせ下さい。※文字数に限りがあるため理由の説明は本日は致しません。ご了承下さい。)


それでは、どうぞ、お楽しみください。


title お昼ごはんは自分のペースで、楽しく!

お昼ごはんの時間、そらグループ(0.1歳児)の子どもたちを見ていると、赤ちゃん机にごはんが置かれた瞬間、ごはんに興味を持ち、自分の手でごはんの感触や温度を味わったり、ごはんを口にしては表情を変えて、美味しいと思ったり、苦手だなと思ったり、子どもならではの食事の楽しみ方がそれぞれにあって、見ていて私はとてもワクワクする。

しかし、進入園児のAちゃん(1歳3ヶ月)やBちゃん(1歳2ヶ月)は、ごはんを目の前にしても、あまり興味を示さなかった。

そのため私はスプーンにごはんをのせ、食べさせようとした。けれど、どんな方法を試しても、顔を背け、食べようとしなかったため、私は少しの時間、見守ることにした。

すると、他のそらグループの子どもたちと同じように、自ら、白いごはんを手で触ったり、口にしたり、お汁に手をつっこんだり、お椀をひっくり返したり‥さまざまな方法で、ごはんの味や感触、温度などを味わっていた。

私はその様子を見た時、AちゃんとBちゃんは、きっと「ごはんは、やわらかくて、おいしいな」「おしるは、ぬるぬるしていて、すこしあたたかいな」と感じているのではと思った。

この出来事から、はじめから保育者がスプーンにごはんをのせ食べさせるということは、子どもにとってはごはんの味や固さ、温度などが分からないままに、すこしの不安や抱くものではないかと考えました。

お昼ごはんの時間、無理に食べさせようとするのではなく、子どものペースに合わせて、楽しく食べることができるように見守ることが大切だと実感しました。

どの年齢の子どもに対しても、苦手な食べ物は無理強いせず、食べようとした頑張りを認めたり、すこしだけでも食べることができたら、しっかりと褒めたりしていきたいと思う。

完食できなくても、今日はひとつ、明日はまたひとつ、と少しずつの積み重ねで食べることができるようになればそれでいいのではないだろうか。

私は子どもと関わる時に「自分が子どもだとして、保育者にこうされたらどう思うか」を、よく考えるようにしている。

「苦手な食べ物が出た。食べなければ先生に怒られてしまう‥」と、おびえてしまうのではなく、「友だちや先生と一緒にごはんを食べることができて楽しいな!この野菜苦手だけど頑張って食べてみようかな」と、思えるような、そんな子どもへの関わり方を日々学んでいきたい。


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※過去Narrative Treeを読みたい方は、富岡保育園までお越しくださると閲覧できますので、お気軽にお問い合わせください。

2023-05-11
トマトになる前のトマト

「トマトになる前のトマト、あげる。」

初々しい黄緑色のミニトマト片手に、ひとりの女の子が、ある男性に近寄りました。

「ありがとう。“トマトになる前のトマト”かぁ。かわいいね。もらっとくね、ありがとう。」


この会話のやりとり。昨日見学に行きました「Cha Cha Children Higashitoyoshima」の園長先生と、お庭で遊んでいた子どもとのやりとり。ちょうど、園内を僕に案内しているところにやってきたんですね、その女の子は。

「“トマトになる前のトマト”かぁ。おもしろいこと言うな〜。あの女の子は、よくあぁいうこと言うから、よく見ていると、ほんとおもしろいんですよ。」と、僕に感想を言ったようで、おもわずこぼれたつぶやきのように、園長先生は述べられていました。

こちらの園長先生を知るうえで、上記のやりとりは非常に役に立つと言いましょうか。子どもや先生の姿、園内で起こる出来事に対して、細やかに気付き、感動されるのです。“トマトになる前のトマト”を大事そうに手で包みながら、案内をすすめて下さってはいたのですが‥偶然にも、用務員さんと子ども集団の様子がおかしいことに気づかれたのですね。

なんと、園沿いの道端に小鳥が弱っているところを、用務員さんが救出したようなんです。集まる子どもたちの表情はそれは複雑であるのですが‥駆けつけた園長先生はというと、小鳥の心配はもちろん、その複雑さに寄り添いつつも、子どもたちをしっかり観察しながら奥底ではわくわくしているところもあるように思えました。『なんだか、ドラマが起こりそう』だと、感動屋である園長先生は思われたのでしょう。


Cha Cha Children での環境設定には、園長先生の感動屋な部分が随所に反映されているように思いました。玄関入ってのエントランスには、1日のはじまりがわくわくする仕掛け、陽射しを照らす鏡、物語をかきたてる花壇。感動屋である園長先生の想いを受けた保育仲間たちが、“ひとりひとりを大切にする”ための工夫を、丁寧になさっていました。

印象的であったひとつとして、玄関前のお花の世話などを黙々と謙虚にされていた女性。あとから聞くところ、保護者さんだったみたいなんです。また花壇などのお手入れや水やりを子どもたちとしていた方は、看護師さんでした。職種などの垣根にとらわれず、自分の好きなことやりたいことができる環境作りがとても魅力的にうつりました。

Cha Cha Children Higashitoyoshimaの園長先生をはじめ、先生方、子どもたち、保護者様、素敵な時間をありがとうございました。あるお部屋に飾られていた、300のセミの抜け殻には脱帽してしまいました。今後も学び合える保育仲間としてお付き合い宜しくお願い致します。


さて、本日は富岡保育園ではどんなドラマが起こるのでしょうね。わくわく。

ちなみに10時頃より、自然農に詳しい、すずきさん、いけださんと夏野菜を植える活動が予定されています。ご興味ある方は参加自由ですので、お気軽にどうぞ。

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2023-05-10
村上、東京行脚中です。

コンクリートの外観からは、それは予測も出来ない、畳、襖、障子を随所に扱い、多くの段差が施された建物「うらら保育園~新小岩~」を、昨日見学させてもらいました。照明なども、太陽光を基本とした具合に調整されていたり、「人間らしい暮らし」が最大限に引き出される環境が、その全てが記せないほどに整えられていました。ひねくれ者の筆者にしては、自分でもおかしいほどに、非常に感激してしまったのです。とにかく、園内のどこにいても、それは溢れてしまい、ニヤニヤが止まりませんでした。

ニヤニヤとした表現は、誤解を誘ってしまいそうですが、本当に感激したのです。それは、空間環境だけにとどまらず、すれ違う先生方や子どもたちの姿にもです。コンセプトのうちの「長屋暮らしの子だくさん」たる雰囲気そのまんまなんですよ。はじめてお会いするにも関わらず、非常に心地の良い距離感なんです。距離感とは、何メートル何センチなんてものではなく、言葉であったり表情や振る舞いをイメージして下さればと思います。


このたびは「うらら保育園」の園長先生、そして都内の若手園長先生と雑誌の編集者とで『こども基本法』をどのように具体的に実践におとしこむことができるかを討論しました。正直なところ、僕は勉強不足で話しについていくことに必死ではあったのですが、討論の場でひとつ学んだことがありました。それは「わかった“フリ”をしないこと」が、討論の場では質の良い質問につながるということです。

ちなみに話しは、超少子高齢化や不適切保育などにも及んでいくのですがね。各園で『当事者意識』あるコミュニティづくりをするにあたり、問題や課題に対して“境界線をなくす”ための仕掛けとして、こども基本法などの勉強に加え、その保育者自身の“感性”を磨き、共有していくことの重要性が説かれていきました。

ここは、これからの保育園というコミュニティづくりの、キーポイントにもなるだろうと思うのです。保育者に限らず、園児や保護者たちも含めて、その場に集まる人たちが“感性”を磨くことができ、そして共有できる場所こそ、これから求められる保育園なのではないかと。


まだまだ綴らねばならない学びはあるのですが‥“心地の良さへの感激”にて、言葉ではなく僕の感性のうちに「うらら保育園」での学びを浸透させたいと思います。うらら保育園園長先生、また職員の方々や園児たち、たくさんのヒントとなる資料の提供、またひとつひとつの丁寧なアドバイス、誠にありがとうございました。次回は、その自慢のお昼ごはんを食べに行きたい!と厚かましくも思っていますので、宜しくお願い致します。


それでは本日は、東新宿駅から徒歩のうちにある「Cha Cha Children Higashitoyoshima 認定こども園」に、これからお邪魔してきます。同世代の園長先生の、その、ほとばしる情熱に触れてきたいと思います。

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富岡保育園前の横断歩道です。
2023-05-09
ワンコインランチは基本平日です

「菜の花の沖(二)~司馬遼太郎」によると、江戸後期、今からざっと250年ほど前、海をはしる船は、その船頭の“かん”が大きな頼りだったそうです。天候などは、それぞれの湊にいる、それに詳しい者の“かん”を情報に。航路などは、船から見える陸地の山々の情景を情報に。荒れゆく海を渡りながら湊に近づくころに、目印となる山は“神”のように崇拝されていたんだとか。スマホであったり、地図のナビゲーションであったり、また船の速度を測るものなんてものも無い時代に、その“かん”は非常に研ぎ澄まされたものだったのでしょう。


比べるまでもありませんが、250年経った現在。僕は“かん”なんて、どこゆく風だと言わんばかりに、新幹線のぞみ号に乗り、東京に向かっています。小説を読みながらでも、うとうとしながらでも目的地に着くんですから、今の時代は。ただ、窓から見える景色に、崇拝したり敬意を持つといった感情は生まれにくい、そんな時代です。

さて、本日は東京都葛飾区新小岩駅から数分にある「うらら保育園」への見学に向かっております。経緯をざっと述べてみると、昨年度出場した社会福祉ヒーローズに取材に来られていた雑誌(遊育)の編集者(フジさん)のお誘いで実現した見学会なんです。さらに言えば、フジさんと“保育の質を向上させるためのヒントを得る旅”に出かける、スケさん、べぇくん(若手園長先生たち)を加えた、熱々のメンバーとなんですよ。

僕はたいした“かん”は働きませんが、この熱々のメンバーたちとの会は、間違いなく新しい学びが得られる(もしくは作る)と“かん”で確信しています。


東京駅から総武線で新小岩駅を目指すにあたり、快速電車に乗りました。電車内、目線が注がれる場所には全てモニターがあるんですね。広告動画がひっきりなしに流れています。岡山県の山陽本線を走る在来線内に貼られているポスター広告なんてかわいいもんですね。目をひく文字群に、その業界のプロの業を感じるところもありますし、東京と岡山県の笠岡市では住んでる世界が違う節が、じわじわと感じるところもあります。でも、だからこその、岡山県の笠岡市だからこそ作れる世界があるんじゃないだろうか、とも思うんですね。

ブログを綴っているうちに、新小岩駅北口、喫茶ルノアールに入店しました。駅前の喫茶店ではありますが、昭和風情と言いましょうかね。お客さんのほとんどは、おじいちゃん、おばあちゃん。スマホなんて見てるのは僕くらいで、ほとんどの方が新聞紙をひろげて珈琲をすすっていますよ。窓越しに見える看板には大衆食堂や大衆酒場なんてものが多いんです。東京でも、東京内で生き抜くために作った、あるいは守っている街並みがあることに、さっそくある種の学びを得ているところです。

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※ワンコインランチは基本平日のみとなっています。土・日・祝日はお休みとなっています。ご了承下さい。

2023-05-08
【番外編】筆者の語られない一面

※本日のブログには保育や幼児教育、ためになる知識や情報の類いは一切記載されておりません。ご了承ください。



犯罪加害者などの過去、たとえば幼少期や学生期の姿をテレビなどで報じられることに、筆者は不快感を示す。その姿はある一面を切り取ったものであるはずなのに、当人の全ての評価であるかのように映るからである。(加えて、たいてい野太い編集された怖い声色を使うことも、情報操作されたように感じ不快を助長させるものである。)


筆者の場合、ここのところ地元新聞やYahoo!ニュースなどで自らを報じて下さることに、感謝や喜びもある反面、不快とまでは言わないが、誤解を招いているであろうことに、およそ戦々恐々としたところがあります。(つまりは、とても面倒な性格だということです。)

いつぞやのブログで記したかもしれませんが、3歳半の頃にコマ無し自転車で町中を乗り回す、その以前。三輪車を乗りこなすことは出来なかったそうなんです。これには注釈を付ける必要があって“前方に”乗りこなすことが出来なかった、何度教えても“逆さま”にペダルを漕ぐんだそうです。このあたりの記憶はまったくありませんので、家族談から記しております。ちなみに、現在は声がかすれるほどに喋り散らしていますが、3歳を超えるまでは、一言も喋れなかったそうです。(喋りもしない、ペダルを逆さまに漕ぐ、このような姿に、祖父が心配して病院へ連れて行ったのだとか。)

また、現在勤め先でトイレトレーニングなどに寛容派であることは、自らの過去が影響しているのかもしれません。小学校5、6年生くらいまでは、よく布団に世界地図を描いていました。たいていトイレに行く夢を見ると、布団があたたかくなっていくわけですよ。

朝、おもらしをしながらも、小学校へは意気揚々と通っていたはずです。小学校時代は“おもしろい”がクラスの中での立ち位置を決めている節がありました。学校の先生の話しを遮ってでも、クラスのみんなを笑わせることにフォーカスしていたのかもしれません。学級委員や班長などにも積極的に挙手もしていました。放課後には、野球やサッカーなどのスポーツの醍醐味にも進んで参加する反面、アナーキーな友人、つまりはクラスの中で目立ったり多数派でないながらも非常に面白味のある、そんな友人とバトル鉛筆などに興じたりもしていました。(バトル鉛筆とは、バトル要素の文字が記された鉛筆を転がし合って対決する遊びのことです。)

そんな“おもしろい”が席巻していた小学生から、思春期の脳の構造を伴う中高生になっていくわけです。クラスの中には“おもしろい”よりも、ある種の“ワルさ”のようなものが席巻していくわけです。ただその頃、混沌としていく自らは、多数派でいることからどんどん距離を置いていくようになるんです。学級委員や班長などとは無縁に、隅の隅の、その隅の少数派の“おもしろい”を楽しむようになっていきました。実は保育士を希望するようになった要因も、このあたりにあるんだと思うんです。ボランティアに出かけて、園児や先生たちに社会的価値を見出してもらったことに加えて、男性で保育士をしている方を見かけない、つまりは比較対象がいない、少数派であろうことが後押しをしたんだと思います。

20代になると、思春期時代にクラスを席巻していた友人たちが社会には馴染めず、その馴染めない空気感の中に居場所を見つけていました。これはある種の、社会人になったからといって社会の渦に巻き込まれたくない願望もあったのだと思います。人間関係に、もしも陰と陽があるのならば、20代はそのどちらの酸いも甘いも経験させてもらいました。“させてもらった”との表現には、今となってはお金に換えられない授業だったと認識しているからです。職業柄、あらゆる家庭と向き合うものですが、全てを理解することは絶対に出来ない、出来ないのですが、想像を膨らませて理解しようと努力することはできるんです。その想像に対して、20代の授業は一役も二役も買っていると自覚しています。

さて、30代での大きな転機は、癌(がん)を患ったところにある、と思いがちなのですが、正確には違うんです。癌になって出会ったり、出会い直した方々からたくさんエネルギーを吸収して、僕は1年間ほど休職の手続きをとりながらも、保育園に定期的に通っていました。給食室でお昼ごはんを食べさせてもらいながら、隣の部屋から聞こえる園児たちの声に元気をもらっていました。が、それだけではなく、当時、現園長先生と、その先代の園長先生の集まる事務所に通って、時事ネタを討論していました。この討論の時間が、僕の本当の転機だったんじゃないかとも思うんです。たいてい三者三様の意見を述べながら、先代の園長先生が本質を探っていく会話の流れにまとめてくれていました。“まとめてくれていた”との表現には、やはりお金に換えられない授業だったと認識しているからです。

本質を探りながら、園の改革をすすめていきますと、いかんせん社会の理不尽さにぶつかってしまうこともあります。理不尽に対しても、社会人の醍醐味として受け流せばいいのでしょうが‥受け流すことが多数派であればあるほど、なぜか逆の手を打ちたくなるんですね。もしかすると三輪車のペダルを“逆さま”に漕ぐ癖が抜け切れていないのでしょうか。それとも、少数派の“おもしろい”が好みなのでしょうか。理不尽さを、どうにかこうにかしたくなるんです。なぜか、30代後半に差し掛かり、非効率的な生き方に舵を切っていくことは、たくさんのお金に換えられない授業を受けたおかげなのでしょうか。


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友人や家族、仲間や先生、たくさんの出会った方たちから、たくさんの影響を受けて、現在の自分があると思っています。(自分とは、さまざまな“人間関係”の中にあると思っています。)もちろん園児たちや保護者様、地域の皆様も同様にであります。だからこそ出会いに感謝しなきゃいけませんし、それを社会に還元したいとも思っています。

今後も皆さまのご指導ご鞭撻を受ける、いや勝ちとっていきたいと思っていますので、何卒よろしくお願い致します。筆者、村上太志。

2023-05-07
散らかすのは当たり前

ゴールデンなウィークも、あとわずかになりました。保育園や幼稚園などに通われているお子さまをお持ちの方で、必ずや一度、いや二度三度と放った言葉があるはずなんです。それは‥

「もお!散らかすばぁして!片付きゃぁへんが!(散らかすばっかりして、片付かないじゃん)」

お出かけ前であろうと、ママがお化粧など支度をしている最中に、少しでも目を離すと‥玩具やら紙やらクレヨンやらが散乱しているかもしれません。

「ちょっと!あなた(父親)!ちゃんと見といてって、ゆったが!(言ったでしょ)」

なんて、お子さまが部屋を散らかしていくごとに、それは夫婦喧嘩の火種になっちゃったりしてね。

挙げ句の果てには、お出かけから帰って、夕ご飯でも食べようとするなら、離乳期であったり、また2.3歳などのイヤイヤ期のお子さまであれば、食べこぼしは当然あるでしょうし、食べ物で遊び出すこともあるでしょう。

すると、お母さま、お父さま方の疲労のピークは、それはそれは頂点に登っていくのではないでしょうか。

「ちょっと!あなた(父親)!お酒ばっかり飲んで‥ちゃんと見といてって、ゆったが!(言ったでしょ)」

※昭和風の残り香のするフレーズだったかもしれません。令和風であれば「スマホばっかりいじってないで!」が適当でしょうか。

想像するだけで、世の中のお母さま、お父さま方には頭が下がる思いですし‥ゴールデンなウィークも、その予期出来ぬトラブルの訪れで、不協和音が走り、ゴールデンでなくなる可能性もあるわけなのです。ゴールデンなウィーク終了後には、保育園や幼稚園に預けて、隙間時間を作って、マッサージやカフェなどで心身を整えて下さればと願っています。


さて、本日は、その予期せぬトラブルの訪れに対しての、一つの対処法についてご紹介したいと思います。あらかじめご了承得ておきたいことは、一つの対処法であって、完璧ではないってことです。子育てには正解がない、あるいは全部正解なところもあります。さらには1人や2人ではどうにも対処できないところがあります。(だからこそ、毎回オススメしているのは、お子さまに関係する養育者を増やすことです。たくさんの養育者で見守ることができれば、お子さまの負担と、養育者の負担、ともに軽減されますよね。)

予期せぬトラブルの1つとして「散らかす」が挙げられると思います。赤ちゃんが、四六時中、おもちゃを投げたり、落としたり‥ただ、これは赤ちゃんにとっては学んでいる最中だと認識しなきゃいけないんです。赤ちゃんは重力や距離や自分の筋力について学んでいるんです。

そして食べ物もはじめのうちは、新しいおもちゃにすぎないわけですよね。食べ物をつかもうとしてひっくり返す。片側に押し出す。ほかのことに興味を奪われ落としてしまう。となりの椅子めがけて投げこむ。

お母さま、お父さま、また保育園の先生なども含めた養育者にとっては“予期せぬトラブル”であっても、赤ちゃんにとっては“学んでいる”最中なんです。まずは、この理解をすることが対処法の1つなんです。

すると『散らかすのは当たり前である』という前提だと、養育者の心持ちや行動も多少工夫されていくかもしれません。

例えば、自分で食べようとチャレンジする赤ちゃんにどんな服を着せるべきか。赤ちゃんに急がなくてよいと示し、食べる時間や片付けの時間をたっぷりとれているだろうか。手で触ったり調べたりするであろう、また落としたり投げたりするであろう、なのでいっぺんに与えすぎずに、数品ずつ与えていこうか。

その工夫に四苦八苦、そして慣れてくる頃には、お子さまは次の発達のステージに向かっているかもしれません。養育者がゆったりかまえて、たくさん学べば(散らかす)学ぶほどにです。


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養育者(お父さま、お母さま、先生など)が、ゆったりかまえられる環境を作ることが、赤ちゃんたちとって一番メリットがあるのかもしれませんね。

2023-05-06
こどもまんなかビジネスの到来

「こどもファスト・トラック」って知ってますか?もしかすると耳馴染みでない方もいるのでは。子連れの人たちが優先的に入場できる仕組みのことみたいです。

「こどもの声は騒音でない法」の必要性が国会で話題になっていることは知っていますか?公園や保育園で“子どもがうるさい”との苦情が後を絶たず、近隣住民とトラブルになっているそうです。一定の音量を超えれば騒音であると司法が判断した例もあるんだとか。

「こどもファスト・トラック」も、「こどもの声は騒音でない法」も、もちろん子育てに携わる方たちからすれば、ありがたいものでありますがね。国が掲げる“こどもまんなか社会”を実現させる、その一歩なのでしょう。

ただ、ついつい筆者が思う節には「現代社会から“寛容さ”が失われていること」がおもむろに露呈しはじめちゃってんだなって。例えば、後ろに子連れの家族が並んでいたとして、もしも待ち切れずに泣いちゃいそうになっている場面に遭遇したなら「どうぞ、先にジェットコースター乗ってくださいな。」なんて粋な言葉が出てこない社会なのでしょう。そこには「先に並んでんだから、先に乗る権利がある。泣いちゃうのは、遅く並んだ、あなたの責任でしょ。」といった“自己責任論”強めな社会があるのでしょう。


警鐘を鳴らすまでもないのですが‥“こどもまんなか社会”の【こども】についての理解が、そっちのけになっちゃうと、僕はこれからは「こどもまんなかビジネス」が裾野を広げていくんだろうと思っています。例えば、騒音をやわらげる壁なんていかがでしょう。また大事な子どもを危険から守るために、鬼ごっこ用のヘルメットや肘当て膝当てなんてのはいかがでしょう。さらには最近の流行語を活かして「子ども主体3点セット」はどうですか?「科学的思考が子どもの未来を作るSTEM教育セット」なんてのもどうでしょうか?「東京大学式幼児教育セット」なんてのもあったら売れそうですね。


筆者のひねくれ様には、いささか問題はありそうですが、子どもは余計な知識や情報や経験がないぶん、よく分かっているんだと思うんです。それを言葉にできないにしても。「大人が何か意図をもたせて僕たちに私たちにやらせているんだろうな」ってことをです。それを意図通りに演じると、大人から褒められるわけです。「あなたには、科学的思考が身につきましたよ。偉いわね。」なんて具合にです。


“こどもまんなか社会”の意図が何なのか?本当に“子どもの育ちを守るため”であるのか、それとも国力の維持であるのか、はたまたビジネスライクなのか‥子どもは、いち早く大人の真意を見抜きそうです。

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昨日、“とみほ村だより”を近所の方々にお配りしていたところ‥「子どもの声を聞くと元気が出るわ〜。」といった有り難い言葉をたくさんお聞きしました。また先日バザーを企画して下さった方からは「売れ残ったもので、子どもたちが使えそうなものがあったら、保育園に持って行かせてな。」といった言葉もいただきました。

とみほ村の子どもには、特別な、例えば“ハーバード大学式幼児教育セット”なんてものも用いていませんし、“汚れてもへっちゃら全身防水体操服”なんてものも用いていませんが‥地域の方々の【寛容さ】の中で、子どもの育ちを守ることができています。

感謝の気持ちを、誠実さで地域に還元していきたいと思います。

2023-05-05
500円と笑顔と感謝を握りしめて

ゴールデンなウィークを、皆様いかがお過ごしですか。僕は相変わらず、早朝の富岡保育園の玄関先を掃き掃除してみたりしながら心身を整えているところです。(カッコよさそうに記しましたが、多分に二日酔いから意識を取り戻すためであります。)

さて、今日はこれから「とみほ村だより5月号~富岡保育園×富岡北地区まちづくり協議会×クレヨンKIDS ~」を配り練り歩こうかなと思っているところです。(もしもクルマからでも村上を見かけた方がおられましたら、クラクションを鳴らして下さいね。)

ちなみに、今月号はボリューミーな「とみほ村だより」になっておりまして、1枚目には各コミュニティの予定に加えて、理事長兼富岡保育園園長コラムがいつもより熱め⁉︎厚めに綴られています。(年度替わりの4月を通して変化する子どもの育ちについてを、どのように大切に見守ることができるか、順序立てて記されていますよ。)

2枚目、3枚目には、5月生まれのお友だち、また職員などの紹介が綴られています。実はこのお誕生日紹介コーナーが人気なんです。自分の子どもや孫でなくとも、その紹介文に想いを馳せて「この子ども、かわいいなぁ。」「へ〜。この先生、おもしろしいなぁ。」と、とみほ村での姿がありありと想像できるわけです。

そして4枚目は、富岡保育園のお昼ごはんメニュー(給食の献立)「太陽の台所からこんにちは」が、材料なども含めて綴られています。こちらは、僕が方々に配布する、とみほ村ファンからは「自宅の献立の参考になるんよ、これ。毎月ファイリングしてますよ。」と言われるほどです。


いかがでしょうか?こんなに推されてしまうと読んでみたくなりますよね?もしも気になる方は、村上までお申し付け下さい。(09X33715648)笠岡市内であればお届けしますし、市外などであれば郵送しますよ。

ちなみに、ゴールデンなウィーク後の、お昼ごはんメニューを、ちらりと紹介しますと‥(※印は3時のおやつ)

・8日(月)チキンライス、春雨サラダ、たまごのスープ、果物 ※かしわもち

・9日(火)肉じゃが、トマトサラダ、大根とわかめの味噌汁、ごはん、果物 ※青りんごゼリー

・10日(水)筑前煮、たまごサラダ、白菜の味噌汁、ごはん、果物 ※きなこだんご

・11日(木)赤魚の煮付け、ひじきの炒め煮、にゅうめん、ごはん、果物 ※おかかおむすび

・12日(金)照り焼きハンバーグ、和風スパゲッティ、小松菜の味噌汁、ごはん、果物 ※コーンフレーク

・13日(土)なかよし親子丼


いかがでしょうか?もしかすると食べてみたくなったんじゃないでしょうか?富岡保育園ではワンコインランチに参加することができますよ。500円と笑顔と感謝を握りしめて来て下さいね。(食材量の関係で予約をお願いしています。お問い合わせは富岡保育園ホームページTOP電話番号へお願い致します。)

あらためて、お昼ごはんのメニューを打ち込んでいますと、気づいた点があります。それは8日の“チキンライス”は、実は僕が希望したのですが(先月の御台所会議にて)その日、僕は東京へ勉強会予定でいないじゃないですか。誰か僕の分まで、チキンライスをたくさん頬張って召し上がって下さいね。ワンコインランチのご希望お待ちしております。

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2023-05-04
純粋なまでに斜めであること

筆者の青い手さげカバンには、たいてい何冊かの本が携えてある。もちろん読むためではあるのだが‥買ってしまったが、あるいは借りてしまったがなかなか読めていない、そんな類の本も、携えておくことで読んだ気になっている、そんな滑稽なところが筆者にはある。

ちなみに、現在ブログを綴りながら、ちらりとそのカバンを覗くと、「よみがえる変態~星野源~」「菜の花の沖(二)~司馬遼太郎~」「この部屋から東京タワーは永遠に見えない~麻布競馬場~」の3冊が見えた。3冊の著書たちに共通することは『純粋なまでに斜めであること』だろうか。


さて、先日のことに、富岡保育園も含まれる笠岡市の人権教育委員会に出席しました。(正式名称はもう少し長かったような)純粋なまでに斜めなスピリッツが乗り移ったかのごとく、僕はいつもの“富岡北地区まちづくり協議会”と記されたオレンジの蛍光色のジャンパーを着用して臨みました。が、これには、斜めなりな理由がありまして‥会場が学区内の小学校だったものですから、卒園児なども含めて、このオレンジの蛍光色に気付いてくれるんじゃなかろうかと。そうすれば、「あ!村上先生、学校に来てる!」ってなるじゃないですか。

これね、目立ちたいからでしゃなくて、僕の中での小学校への架け橋プロジェクトなんです。「卒園しても、ずっと気にかけているからね。」ってメッセージをオレンジの蛍光色に乗っけているんです。ふふふ、狙い通り、何人かの小学校一年生が、気付いてくれてはコミュニケーションがはかれましたよ。


さて、本題の人権教育委員会なのですが、正直どこかで違和感がずっとありました。たぶんの純粋なまでに斜めなスピリッツが筆者に浸透していたのでしょう。会長などが、会の会則についてを読み上げる中で「人権とは教育の根幹です!」と熱く語ってはいるものの、どこかで違和感が拭い去れない。学校のチャイムや連絡の放送が流れる中でも、事務局長も含めて、この会の今年度の予定や案やお金についてもつらつらと語っていかれる。その違和感の正体は、会長や事務局長も含めて、何かに迫られ急いでいるからだということは、そのつらつらさに気付かざるを得ませんでした。

その何かとは、この人権教育委員会終了後に行われる、笠岡市内の小中学校の先生が総動員する「小中一貫校へ向けた研修」だということは、筆者は帰り際に知るものでした。

教育の根幹のわりには、人権委員会は小中一貫プロジェクトのおまけの会なのかなって、ついつい純粋なまでに斜めに思わざるを得ないのは、筆者だけでしょうか。

人権委員会終了後に、駐車場へ向かう際には、笠岡市内の小中学校の先生方と、それはそれは大勢すれ違いました。なんだか何かに迫られ急いでいる、そんな雰囲気を嗅ぎ取ってしまったのも、筆者だけでしょうか。

現在、笠岡市内では、各学区において主に施設分離型の小中一貫校プロジェクトが進んでおります。小中一貫の1つのメリットである、「9年間という長い尺の間でゆったりと教育が進められる」そんなはずが、何かに迫られ急いでしまっては、身も蓋もない話しになっちゃいますよね。そしてもしも「とにかく今流行りの“小中一貫”に笠岡市もしないと、何かに乗り遅れちゃう」なんて、考えての枠組みプロジェクトであると、これほど滑稽な話しはないかもしれません。

学校の先生や、笠岡市の教育委員会の方々、その一生懸命さに、いつも頭が下がる思いであり、毎年多くの園児たちを迎え入れて下さることに、大変感謝しております。もしも、いつか、純粋なまでに斜めな教育論なんて語りたいときが来ましたら、僕も同席させてほしいです。

誤解しないでほしいことは、僕は学校の先生のことが大好きで尊敬しているということです。だからこそ、忖度抜きに腹が割りたいのです。

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※ゴールデンウィーク中に見学したい方は、村上までお申し付け下さい。しばしば、いますので。(09X 33715648)

内科検診の模様
2023-05-03
【生き抜く術】キャラ変行動

「家では〇〇なのに、保育園では〇〇なのは、なんで!?」

「保育園では〇〇なのに、家では〇〇なのは、なんで!?」

「お父さんの前では〇〇なのに、お母さんの前では〇〇なのは、なんで!?」

「お母さんの前では〇〇なのに、お父さんの前では〇〇なのは、なんで!?」

ときたま受ける質問と言いましょうかね、子育て中の嘆きに近いものです。〇〇には、何が当てはまるでしょうね。例えば「保育園ではグズをくらないのに、家ではグズばかりくうのは、なんで!?」なんてこともあるでしょうか。


先日、富岡北地区の、小学生の登校班について学校へ行きました。

(※登校班とは、近所の1年生〜6年生で編成された学校へ登校するときの班のことです。たいてい6年生の班長さんが先頭にいて、その後ろに1年生、そして最後尾に5年生くらいの副班長さんが配置されています。)

その登校班には、富岡保育園の卒園児も多く、新1年生も卒園児でした。ついこの間、在園時には、おふざけ話しもたくさんしていたのですが、登校班で歩くその表情は必死なんですね。2号線をまたぐ歩道橋を降りる階段では、副班長さんに手を繋いでもらいながら、へっぴり腰気味に1段ずつ懸命に降りていました。

さらに、学校の手前あたりで、他の登校班に出くわしますと、そこにも卒園児の新1年生がいました。班長さんに手を繋いでもらい、どこかおしとやかに笑みを浮かべ、こちらに手を振る姿がありました。でも、どこかでおかしかったんです。「保育園では、おしとやかとは無縁のように賑やかで、それでいて赤ちゃんなどの面倒をよくみてくれていた存在」だったはずが、新1年生になるやいなや‥。


“環境を通しての保育”が昨今、とても重視される背景には、子どもが非常に環境から影響を受けやすい側面があるからなのでしょう。上記の卒園児の新1年生は、小学校という新たな環境の中で生き抜くために、「おしとやかに笑みを浮かべるキャラクターを演じること」を選んだんだと思うんです。

保育園では〇〇、家では〇〇、なんて場面も、まさにその環境で生き抜くためにとった『キャラクター変更行動』の一種なんじゃないでしょうか。

お母さんの時にはスーパーマーケットでお菓子を買ってもらえないと、ひっくり返るようにグズをくるのに、お父さんの時には、ひっくり返るどころかお菓子をねだりもしないなんてこともあるんじゃないかと思うんです。(もちろん、お父さんとお母さんの立場が反転する場合もあるでしょうし。またもしかすると、買い物をする際の財布の決定権がお父さんに無いことを読んでねだらない場合もあるでしょう。)

『キャラクター変更行動』があることを理解するなら、僕たち保育者も、「A先生の時は〇〇なのに、B先生の時は、なんで〇〇なんだろう!?」なんて、子どもの姿が違うように見える場面にも納得がいくんじゃないでしょうか。さらにそれを素直に認めるなら、保育者(教諭)が行う子どもの評価も、その子どもの一側面でしかないことも分かりますよね。


PS 『キャラ変行動』は子どもだけじゃありませんよね、皆さん。僕たち大人も自分の胸に手を当てて考えてみて下さい。あなたもさまざまな環境を生き抜くために、大なり小なりの『キャラ変行動』はあるんじゃないでしょうか。

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つまりは過度に、子どものキャラ変行動にヤキモキしたり、保育者(教諭)からの評価に一喜一憂したり、なんてことはオススメしない、そんなお話しでした。

2023-05-02
本当に優しいのです、三宅さん。

「もしもし。三宅です。5月1日に、どうでしょう、いちご摘みに来ませんか?」

毎年、イチゴ狩りでお世話になっている、富岡北地区の三宅さんから、待ってましたとばかりのお電話がかかってきました。

ここ最近は、野生動物、タヌキさんやイノシシさんが、畑にやってきては作物や土を掘り起こしてミミズを食べるんだそうです。三宅さんは、「タヌキやイノシシも食べんと生きていけんしなぁ。」と、思いやりながらも、園児たちにイチゴ狩りを楽しんでほしい気持ちで、畑に頑丈な囲いをして下さっていました。この囲いを見ると、三宅さんがどれだけの労力を注がれたか、本当に頭がさがる思いになるんです。

実は、昨年度もその気持ちのこもった囲いをして下さっていました。そのお陰で、イチゴ狩りを存分にできたわけなのですが、たまたま、ひとりの女の子がその囲いでおでこの辺りに擦り傷を作っちゃったんです。

でね、今日、畑にお邪魔すると、囲いが昨年度から改良されていたんです。昨年度、擦り傷を作っちゃった付近の囲いには、竹で細工が施されてました。三宅さんは、たまたまの、その女の子の擦り傷を覚えてくれていたんです。本当に優しいのです、三宅さん。

そんな、気持ちのこもった囲いの中の畑で、本日もイチゴ狩りを楽しむことができました。摘みたてのイチゴをほおばる、その表情なんて、言葉になんない気持ちが溢れていました。子どもたちに「どう?おいしい?うまく採れるかな?」なんて問いかけても、必死なんでしょうね、夢中なんでしょうね、あまり答えがかえってきませんでした。答えは、赤く染まった口のまわりにあるのかな。


三宅さん、今年も貴重なイチゴを摘ませてくださり誠にありがとうございました。また、それまでのお世話なども含めて、大変な労力をかけられ、気持ちを込められたことに、大変感謝しております。本当にありがとうございました。三宅さんが「子どもの声を聞くと元気が出る。」と言ってくださる言葉に、子どもたちの未来に希望をつなげる、その責任の重さを感じるところです。今後も引き続き宜しくお願い致します。

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イチゴ狩りです。
改良の施された囲い
必死、夢中
2023-05-01
レコードに針を落とすように

日曜日ですから、個人的な話しをお許しください。最近、富岡北地区に引っ越しをしたんです。ちょうど、山陽本線に走る電車の音が聞こえるあたりです。夜中に働く貨物列車の音にはどこか哀愁が漂っていますし、しばしば目を覚ますものです。

そんな早朝に、引っ越しを機に買い求めた格安レコードプレーヤーで、ある音楽に酔いしれていました。ほぼジャケ買いといっても過言でない、ショスタコーヴィッチ作曲、バーンスタイン指揮による交響曲第5番『革命』です。大音量にすれば心の臓まで痺れてしまいそうなメロディーではありますが、隣人たちへの迷惑を考慮し、細々とその喜怒哀楽ラインを楽しんでおりました。


『革命』なんてタイトルから連想ゲームのように、もしかすると「村上先生、“革命”好きでしょ?」と問われかねないなって。

2017年11月から、富岡保育園ではじまり、そして今なお続いている保育実践大改革。年齢別のクラスの壁、固定担任制、運動会や発表会などの様々の行事、あらゆる保育園の固定概念を打ち壊し続けてきました。打ち壊しては、保育の本質に迫る努力をし、それに共感してくださる地域内外の方々がたくさんファンになってくれる、そんな非常にありがたい循環が生まれるようになりました。

ただ、レコードプレーヤーに、レコードを据え、そして針を慎重に落とすと、何周か波を打つように回っては曲がはじまるように。2017年11月からはじまる保育実践大改革にも、針を慎重に落とし、そして波を打つような準備期間はあったのです。

現園長は、富岡保育園では三代目になります。二代目から引き継いだ時点では28歳でした。また、偶然ながらも、その時点に、僕は富岡保育園に就職しました。本当に偶然ですが、今となっては必然性を見出すことで、物語性は強くなるようです。

三代目は、園長に就任してからというもの、東京を中心に保育の勉強に通いました。そしてそれに伴いながら、全国に園長仲間を増やしていかれました。全国各地からの知識や情報から、自身の保育観を形成していかれたのです。初代から二代目、そして自分に引き継がれた、『“お互い様”の精神を持って働くこと』と、『“遊べる子ども”育成に向けて、子どもも大人も地域も成長し合える関係作りをすること』、この2つのいっそうの実現を図りました。

その時期に、新宿せいが子ども園の園長先生、藤森平司先生の提唱する「見守る保育」に出会ったことは、大きなヒントを得るような想いだったに違いありません。

その想いを、忘れないためであるのか、もしくは未来への自分に対する決意や覚悟のようなものであるかは、察するまでしかありませんが、三代目は園庭のど真ん中に“百合の木”を植えたのです。

その当時、僕は就職して2.3年目でしたから、15.6年前のことでしょう。僕を含めた現場保育者からは、「なんで、こんなところに木なんて植えたんだ!」なんて陰口を叩かれていました。また市や県の監査員からも「危ないんじゃないか!?」なんて注意を受けていました。どれもが根拠のない、“保育園とは〇〇というものだ”という固定概念からきた陰口や注意でした。それを三代目は、ひとり黙々と耐えては、自らの決意や覚悟を育てていたのでしょう。


百合の木の花言葉が『幸福』であることは、保育実践大改革のはじまりと結果を意図するものだったのでしょうか。

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おかわりください。
2023-04-30
【秘技】赤ちゃんへの話しかけ方

先日紹介した育休産休クルーよりも、すこし前に無事に出産を遂げました育休産休クルーが、富岡保育園とクレヨンKIDSに遊びにきてくれました。もちろん、かわいいの過ぎる赤ちゃんとです。まだ首は座っていないようでしたが、つるんつるんの、ぷにぷにといった具合でした。不慣れなわたくしも、おそるおそる抱っこさせてもらいました。あったかいんですね、赤ちゃんって。ついでに気持ちまでもあったかくなった気がしましたよ。きてくれて、ありがとね。


さて、幸せな気持ちにさせてくれる赤ちゃんの周りには、富岡保育園では子どもたちが、それはそれは大勢群がっていました。でもね、いつもの調子で騒いではいないんですよ。話しかけるときは、小さめの声で。撫でるときは、やわらなか触れ方で。誰に言われるわけでもなく、わきまえてるんです、赤ちゃんに対しての態度がね。

今日のブログは、赤ちゃんについての豆知識をご紹介したいと思うのですが‥子どもたちですら、わきまえているところがあるように、ブログ読者の方にとっても「そんな豆知識、知っとるわい!」ってなっちゃうと思うんです。なので、当たり前のことを再確認する気持ちで聞いてくださいね。

紹介するテーマは「赤ちゃんへの話しかけ方」です。

結論から言いますと、ひとつ目は『口を大きく開けて関心を持たせてあげること』。そして、ふたつ目は『赤ちゃんの目を見ながら話しかけること』です。

理由について記していきます。赤ちゃんは、すでに胎児の頃より音を聞き分けている節があります。例えば、フランス語圏の新生児は、発声の後半にイントネーションのピークをもつ泣き方をし、ドイツ語圏の新生児は、発声の前半にイントネーションのピークをもつ泣き方をするそうなんです。さらに、生まれたばかりの新生児は、外国語に比べて母国語を好んで聞くことが分かっており、つまりは、胎児期からの音の聞き分けのおかげで、このような泣き方や好みがあるようです。

また、赤ちゃんは「あ」の口で、“あ”ではない音声をすると、その口の動きを示さないのです。つまりは、視覚と聴覚情報が統合的に知覚され、口の動きを模倣する可能性があることが分かったのです。さらにさまざまな実験の結果、その口の動きに対して注視する時間が長い赤ちゃんほど、音声模倣をすることも分かったのです。

だから何が言いたかって、『赤ちゃんに話しかけるときには、口を大きく開けて関心をもたせてあげること』が大事だよ、ってね。

そして、ふたつ目の『赤ちゃんの目を見ながら話しかけること』が大事だよ、って話しも、ある実験の結果‥どんな実験かと言うと、赤ちゃんを直視して話しかけた場合と、目を逸らしながら話しかけた場合では、直視した場合に、赤ちゃんはより多く音声を模倣したのです。

※参考文献「赤ちゃんの心はどのように育つのか~社会性とことばの発達を科学する~」今福理博


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富岡保育園・クレヨンKIDSに来て下さる方へ。赤ちゃんには「赤ちゃんの目を見て、そして関心をもたせるように口を大きく開けながら話しかけること」にご協力くださいね。

2023-04-29
“あれ”くらいの“あれ”

「“あれ”くらい大丈夫です。」

「“あれ”くらい大丈夫と思ってませんか!?」

同じ“あれ”でも、それぞれの価値観で印象は同じでなくなるんです。日本語の難しさたるものです。


4月も終わろうとしています。この4月には、よく怪我やトラブルなどが起きました。なぜだと思いますか?少し一緒に考えてみましょう。

怪我やトラブルが起きると、たいていは先生たちが“ちゃんと見ていないから”“よく見ていないから”だと考えられがちです。ここにも日本語の難しさは潜んでいるのですが“ちゃんと”や“よく”の具合の違いです。

4月と言えば年度初めということもあり、実は現場の先生たちは、いつも以上に気を張って見ています。これは、当事者(現場の先生)だけに限らず、よく出入りして下さる保護者の方々にも伝わっていることかと思います。

(もしもブログ読者の方で、「24時間365日、子どもの様子を上から下から右に左に斜めに全てを知っていなければ“ちゃんと”“よく”見ていないことになる」との考えであれば、保育園や幼稚園、学校では、最低でも子どもの人数と同等の先生を配置しなければ叶わないかもしれません。)

では、いつも以上に気を張っている、見ているのに、なぜ怪我やトラブルが起きてしまうのか。僕の見解では2点。

ひとつ目は、「子どもの発達しようとする行動の能力とのニアミス」。ふたつ目には、「コミュニティの成熟の欠落」が考えられると思っています。

ひとつ目については、実際の例をあげてみます。3歳児の男の子が、園庭にある3階建ての小屋に、ビールケースを重ねて登りました。以前なら、その高さに引き返すところですが、自分の足取りに自信がついたのでしょう。2階から3階に足を進めたんです。そのところ、バランスを崩し、1メートル下のビールケースに頭の側頭部を擦らせて怪我をしてしまいました。この場合、先生は多少気にはなっていて見守る距離についてはいつもより近くにいました。ただ、自信のある足取りに多少安心していたところに、バランスを崩して怪我をしてしまったわけです。

幸いにも、この怪我をしてしまった男の子の保護者は「“あれ”くらい大丈夫です!いつもよく見て下さり、ありがとうございます。」とのお声かけを下さいました。けれども、もしもこの保護者の方が24時間365日タイプであれば「“あれ”くらい大丈夫と思ってませんか?今回は擦っただけですが、打ち所が悪かったら、どうしてくれるんですか!?」なんてお声かけになっていたかもしれないんです。


では、ふたつ目の「コミュニティの成熟の欠落」についても考えていきましょう。年度替わりだからと言って、保育の内容が変わったわけではないのです。そして皆さんの中には「富岡保育園はいつも自由保育なんだから、変わらないでしょ。」と、余計と変わらないように思うかもしれません。しかし、年度替わりで大きく変わっていることがあります。それは人的環境です。もちろん新しい園児や先生が入ったこともあるのですが、それ以上に16名の卒園児がコミュニティから抜けたところが非常に大きいと僕は思っています。それぞれの子ども集団の中でのリーダー的存在が抜けたんです。4月に新たに形成されつつある子ども集団を観察すると、遊びの面もですし、人間関係の面も含めて“あやふやさ”が露呈しているんです。子どもたちの中でも誰がリーダー的存在に相応しいかを、選んでいる最中なのでしょう。そしてその“あやふやさ”のある子ども集団に対して、大人である先生集団も、新人の先生たちも含むて人間関係を構築中なんです。つまりは子ども集団と同じく“あやふやさ”があるんです。たいてい、この“あやふやさ”が、くっきりしてくる頃は、秋を過ぎてだと認識しています。子ども同士、大人同士、また子どもと大人、それぞれの関係性がつながってきた時に『コミュニティの成熟』が成り立つと思って下さい。

そして、記しておきますと、『コミュニティの成熟』が成立してくる頃には、気を張らずとも、発達の行動のニアミスへの対応もスムーズに運べるものですし、怪我やトラブルへの事前察知や、アフタフォローもスムーズにいくものなのです。(※コミュニティの成熟期手前の注意事項は“慣れ”だということも付け加えておきます。これはまたその時期に説明します。)


いかんせん、つらつらと綴りましたが、保護者の方々を筆頭に、子どもの心身の健全な育ちのために、さまざまな怪我やトラブルに対しても寛容に受け入れて下さり、誠に感謝しております。(実は先日、他者の傘を折ってしまうというトラブルも起きました。その節もこころよく許して下さり誠にありがとうございました。)

怪我やトラブルも含めて、日常のさまざまな事柄を教材にしながら、子どもたちが“しなやかに”そして“しぶとく”生きていくチカラを育んでいけるように、より見守る保育の質の向上に努めてまいりたいと思います。どうかこれからもご指導ご鞭撻の方を宜しくお願い致します。

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擦ったみたいです。
このへんで、擦ったみたいです。
2023-04-28
間配る(MAKUBARU)

昨日の午前には「副主任ミーティング」、午後には「富岡北地区まちづくり協議会理事会」が、富岡保育園の母屋に入ったところにある“方谷の間”で行われました。

まず、ツッコミたいところは「“方谷の間”って!?」ですよね。本題に入る前に説明しておきましょう。

江戸時代から明治にかけて陽明学などを用いて藩の立ち直しに尽力された備中松山藩の山田方谷さんが、なんと富岡保育園の母屋にあたる、当時は廻船問屋であった阪本屋に1ヶ月ほど泊まったんだそうです。その時に滞在したとされる部屋を、現在は“方谷の間”とお呼びして使っているんです。

もう少し余談を続けますと、なぜ“方谷の間”を会議に使用したのか。会議については、もちろん司会の運営テクニックも必要とされるのですが、僕は“場の力”(空間環境)が、会議の内容にとても影響するんじゃないかとも思っているんです。保育室や保育LABO、ゲストルームであったり、私設公民館とみほ村文庫、また理事長&事務長室などなど、各部屋で会議をしたりするのですが、ここのところの僕の推し部屋が“方谷の間”なんです。床の間に『至誠惻怛』と記した書、違棚には神様を祀り、熊本産のいぐさ畳に座し、少し視線を横に向けますと銀木犀などの緑が美しい中庭が見えるのが“方谷の間”なのです。背筋が伸びた凛とした気持ちに自然となるわけで、それが会議に反映されるんじゃないかって、僕は思っているんです。


では本題に入りましょう。まずは「副主任ミーティング」からです。富岡保育園・クレヨンKIDS、両園の副主任をお呼びして毎月行っています。なぜ、各園ではなく両園でするのかと言えば、互いの園の課題や状況把握を一緒に行うことで、解決策などを生み出しやすいことが理由のひとつにあります。(他にも「現場リーダーのチームを客観視するチカラを鍛える」などもありますよ。)

少しだけ内容を具体的に記しますと‥富岡保育園での課題は、現場保育者チームの「間配る」能力の向上にあるようでした。ブログ読者も知っての通りか、富岡保育園では60名ほどの子どもが、朝から夕方の帰宅するまでに、好きな場所や友だちや玩具を選んで遊び、そして生活するわけです。保育者は『全園児についての把握を全保育者ですること』が絶対条件になるのですね。ただ、だからと言って分身の術などを使って、全ての場所や時間に1人の保育者が把握したり対応したりすることは不可能ですから‥間違いなく、保育者が手分けしなきゃなんないのです。ここでもう一度“ただ、だからと言って”を使わせてもらうと、ただ、だからと言って、安易に全ての役割分担を決めてしまうわけにはいかないのです。

例えば「オムツ替えは〇〇先生」と決めてしまったとしたら、その先生が園庭で転んだ子どものフォローをしていたらいかがでしょうか。やはりその時々の状況によって連携した対応が求められるのです。

課題に挙がった「間配る」について。富岡保育園では新社会人クルーが数人います。そしてもしも、その新社会人クルーが大便をもよおした子どものオムツ替えをしようとした時に、先輩クルーがオムツ替えをしていたら⁉︎ついつい“遠慮”してしまって、先輩クルーのオムツ替えが終わるのを待って、大便をきれいにしようとするかもしれません。けれども、そこで「〇〇くん、大便が出ているみたいなんです。オムツ替え、お願いしてもいいですか。」なんて、声掛けが出来ればいかがでしょうか。

人的配置や役割分担、両面の「間配る」が機能すれば必然的に、見守る量と質が高まるはずなんです。

「間配る」を機能させるためには、やはりチーム内での日頃のコミュニケーションしかないんだと思うんです。(“親しき仲にも礼儀あり”なコミュニケーションの積み重ねが、遠慮のないプロフェッショナルな保育チームを作ります。)


次はクレヨンKIDSでの課題を紹介しますと、「大人時間ではなく“子ども時間”」を意識的に作ることにあるようでした。

クレヨンKIDSには、今年度はフルタイム近いクルーを多く配置しました。昨年度からの継続クルーも多く、つまりは園内に慣れた手際の良い、かつ社会人経験も豊富であるため業務なども滞ることなく、どの時間帯もスムーズな対応ができるんですね。って、とても良いことなんです。良いことなのですが、実はここに落とし穴があることも、クレヨンクルーたちは気づいているんです。

スムーズな対応が行き届き過ぎると、どんどん“大人時間”(大人主導の時間)になりやすいんです。これは一斉保育をしていた経験(僕もあります)があるからこそ、この落とし穴に気づけるんです。

では、どうしたら落とし穴にハマらず、子ども主導の時間をデザインし続けることができるのか。

ポイントを整理していくと、まずは0.1.2歳児の小規模保育園の、再認識から始める必要があるようです。0.1.2歳児と言っても、2歳児は3歳にもなり、4歳にも近づいている子どもがいるのです。つまりは0.1.2歳児ではなく、0歳から4歳程度の子どもが健全に発達する環境を作らなくちゃなんないのです。そして今年度の最重要ポイントは、2歳児が園児の過半数をクレヨンKIDSは占めること。と、言うことは、あの脳内での理性と本能の大きなギャップ時期にある子どもが過半数いるわけですから、必然的に園内は、あっちゃこっちゃしていて、「したいことをしたい」「やりたくないことはやりたくない」などなどの、喜怒哀楽の激しい、落ち着かない、アットランダムな状況になるはずなんです。

はずなのですが、もしもそこでアットランダムでなければ、「脳内ギャップ時期の本来の姿を生み出せていない環境になっているのでは!?」と、保育環境(実践も含めて)を、改める必要があることに気付かなきゃいけないんです。


さて、この課題が今後どのように解決されていくのか、ブログ読者の方とも共有していきますね。

(実は、上記の内容については、このブログを綴った後に、全クルーに報告しようと思っています。職員より先にブログ読者がチームの機密情報を知るだなんてね。)

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★来月の「富岡北地区まちづくり協議会理事会」は5月17日水曜日、19時からです。in富岡保育園。

★「富岡北地区まちづくり協議会総会」は5月21日日曜日、10時からです。in富岡会館。

まちづくり協議会理事会
2023-04-27
皇帝フリードリッヒ2世の失策

13世紀。当時、人間は本能的に言葉をしゃべるものだと信じられていたそうです。神聖ローマ帝国皇帝のフリードリッヒ2世は、その言語は何かを確かめるために、ある実験をしました。彼は50人の赤ちゃんと乳母たちを集めて、このように命令したんです。

「赤ちゃんにおっぱいを飲ませ、おむつを換え、お風呂を入れ、寝かせなさい。ただし!一言も話しかけてはならない!抱いて可愛がることも禁じる!」

この実験結果は予想外のものでした。なんと50人全員が、1歳の誕生日を迎えることなく亡くなったというのです。十分な栄養、清潔が保たれていたにもかかわらず、赤ちゃんは全員死んでしまったのです。

なぜ、このようなことが起こったのでしょうか?


さらに時代は20世紀。欧米の孤児院では、子どもの死亡率の高さに悩まされていました。当時最新のものとして流行していた育児法がありました。それは「科学的で理性的な子育てをするためには、人間の“心”といった捉えどころのない曖昧なものはできるだけ排除することが必要だ」という考え方が流行していたのです。

その中でも、最も流行っていた育児法は「子どもにあまり触ってはいけない」というものでした。子どもに触れることは、子どもを情緒的に甘やかすことであり、甘やかされた子どもはダメになるため、泣いてもできるだけ放っておくことが推奨されていたのです。

その最新の育児法は裕福な孤児院では知ることができ学ぶことが出来ました。しかし裕福でない孤児院では知ることや学ぶことができずに、スタッフたちは本能のままに子どもに触り続けてしまいました。その結果どうなったでしょうか?触り続けてしまった裕福でない孤児院の子どもの死亡率は、最新の育児法を学んだ裕福な孤児院よりもはるかに低かったんだそうです。

過去の2つの事例から、子どもの死亡率が高まる原因の1つとして「スキンシップがないことのストレスによって成長ホルモンの分泌が止まってしまったこと」が考えられるようになりました。

以上、参考文献「手の治癒力」山口創さん著書のP122「触れない子育ての弊害」を紹介させていただきました。

ブログ読者の皆さまいかがだったでしょうか?

たった100年違えば育児法が違うことにもビックリしたかと思います。また、その当時に流行たるもの、推奨されているもの、そんな育児法にも落とし穴があることにもビックリしたかと思います。

“触れる”ことへの重要性を説く、この著書ではありますが、ただ誤解したまんま実践にうつしてしまうと、これまた落とし穴にハマってしまいます。

育児ストレスでイライラしながらでも触れなければいけないんだ。

愛情を伴わない冷たい雰囲気でも機械的にマッサージを行えばいいんだ。

ブラシやタオルなどの物による感覚刺激だけを与えればいいんだ。


いやいや、んなぁこたぁないですよね。どうすればいいかは、最新の育児法に頼らずとも、村上が説明せずとも、みんな知っているんです。愛情にあふれたものが一番いいに決まっているじゃないですか。

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2023-04-26
ハートマークにまみれた報告です

ほっこりする話題をいきましょう。

(※個人情報を多く含む話題であるため、文章にいくらかのモザイクをかけさせていただきます。ご了承下さい。)

数日前のことです。とみほ村クルーのひとり、産休中の職員が‥無事に出産することができた報告を受けました。ホントに良かった〜〜〜!!!おめでとうございます。

産休に入る前日まで、責任を持ってチームを引っ張り、また産休中だからこその心情や会話を子どもたちと楽しんでおられた、そんなクルーでした。しっかり心身を休めて、豊かな育休生活が送れるように祈っています。


そんなわけで、今日は無事に出産することができたクルーからの報告と、それに対しての某クルー(クレヨンKIDS園長先生)の反応を、赤裸々に紹介したいと思います。

〈産休育休クルー〉

お疲れ様です!

産休・育休をいただいている〇〇です。

◯月◯日の◯時◯分、男の子を出産しました!

母子ともに異常なく、健康です。

名前は、まだ決まってません。

退院してから両親でじっくりお顔を見て決めたいと思います。

妊娠中から富岡保育園とクレヨンキッズの先生方、地域の方や保護者の方々までたくさんの人たちに見守られ、応援されて、やっと会うことができました。

産まれる前から愛されてるなんて、本当に我が子は幸せです。ありがとうございました!

落ち着いたら、〇〇先生と〇〇ちゃんと(もう1人の産休育休クルー)一緒に、遊びに行きたいと思います。ぜひ、とみほファミリーのみなさんのお顔を見せてあげてください!

引き続き育休を頂いています。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。

〈クレヨンKIDS園長先生〉

〇〇ちゃーん!

おめでとうございます!

母子共に健康と聞いて、安心しました。

とっても可愛いー!ばあばにもまた、抱っこさせてくださいね。

名前はお顔をじっくり見てから‥

どんな素敵なお名前になるのか楽しみにしています。

これから、育児大変かもしれませんが、1人じゃあないからね。

旦那さん、じいじばあば、そして私達もいるからね。みんなに頼りながら、育児を楽しんでください。

産後、無理をしないでね。

また、お会いできるのを楽しみにしています。


※実は原文はハートマークの絵文字だらけだったのですが、ブログの機能上、入らず残念。ビックリマークや句読点をハートマークに変換すると原文通りになりますよ。

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2023-04-25
失敗するチャンスをものしろ

ビジネスマンぽいタイトルをかましてしまいましたが、安心して下さいね。いつもと変わらず「あー」とか「うー」とか言いながら綴っていきますので。


最近、早朝の某テレビ局ニュース番組ではAIアナウンサーがニュースを読むんですね。抑揚については、しっくりこないところがありますが、発音なんてのも人間ぽくてね。ただ、なんだか聞いていて違和感が残るんです。その違和感の正体って何なのでしょうね。

時間が進むと、今度は人間アナウンサーがニュースを読みはじめました。もちろん、プロのアナウンサーですからめちゃくちゃ聞きやすいし上手です。なのですが、聞きやすさで言えば、AIアナウンサーも負けず劣らずなんですよ。

AIアナウンサーと人間アナウンサー。一番の違いは、僕は「ミスをするかしないか」「無駄があるかないか」だと思うんです。

プロと言えども、人間アナウンサーは時々ミスするんです。そんな時には「失礼しました。さきほど〇〇と言いましたが、正確には〇〇でした。」なんて、お詫びを言うんです。

また、ニュースの合間に、相槌を打ったり、また感想なんかも言うんですよ。「ねぇ。大谷選手、ホントすごいですね。それでは、次のニュースに‥」なんて具合にです。

もしかすると、違和感の正体って“心地の良さ”なんじゃないかって思うんです。ミスをしたり、無駄な感想がある方が心地良く感じてしまうんです、僕は。


さて、富岡保育園、そしてクレヨンKIDSにも、今年度からの新クルーが数名加わりました。いちよう言っておきますが、AIクルーではなく、人間クルーです。

そして、もしもAI保育者なんて発売されても、富岡保育園やクレヨンKIDSでは人間保育者で保育させていただきます。

オムツ替えを手際良く時間通りにすることができる、保護者への伝達を完璧にできる、電話対応も人間ぽい発音でミスなくできる、360度見渡せる広角度センサー付きモニターのある、そんなAIだとしてもです。

もしかすると、オムツ替えに手こずっちゃうかもしれない、伝達ミスで何度も電話をかけるかもしれない‥ミスをするたびに「失礼しました」と言うでしょうし、嬉しいと思ったり悲しいと感じたら、その都度に感想を言うでしょうし。でも、それが心地良く感じるはずなんです。


ブログ読者も含めて、富岡保育園・クレヨンKIDSでは“心地の良さ”を求め、今後も人間クルーで対応を続けていきます。そのためミスをするでしょうし、無駄な感想(会話)もあるでしょう。なので、皆さまも人間としてのお付き合いを何卒よろしくお願い致します。

と、綴りながら‥ミスをしても許してもらえる土壌を作っておいて‥本日、現場クルーへは『失敗するチャンスをものにしろ』とアドバイスをしました。

失敗しても、ミスしても、そこでフォローしてくれる仲間やファンがいる時こそ、【失敗するチャンス】なんです。そのチャンスを逃すと、いつ失敗できるでしょうか。失敗をすることで、次のステージに進むことができ、そしてまた失敗できるんです。

注釈を加えておくと、その失敗には必ず『誠意がこもったもの』であることが条件です。誠意のこもった丁寧な失敗には、仲間やファンが離れていくことはありません。

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失敗自慢の村上だからこそ言える失敗名言は「小さな失敗を積み重ねることで、大きな失敗をせずにすむ」です。あんまりカッコよくありませんが参考にしたい方はどうぞ。

こんなところで、爆睡!?
2023-04-24
オープンを超えるオープン保育園

15時を過ぎたあたりでしょうか、無事に「富岡北地区まちづくり協議会主催 バザー&リユースの会 in富岡保育園」の片付けが終了致しました。実行委員会の方々、前日や早朝の準備も重ねてお疲れ様でした。帰宅後のビールがすすみそうですね。

このたび、地域の方々、また保護者の皆さま、総勢80名ほどが参加して下さいました。誠にありがとうございました。両手いっぱいに手さげ袋を持って購入して下さる方もおられ、たくさん集まった品々の半分は売れたんじゃないでしょうか。(残りは、笠岡市内の社会福祉協議会などにご寄付させてもらう予定です。)


実行委員会のひとりの男性が興味を持った点は、園児や小学生が小銭袋を首から下げて、それぞれに現金で買い物をしていた場面でした。ひとつひとつ真剣に吟味する表情や、またお会計でお金を出す表情に、感心したそうです。(保護者が子どもに任せていた点にもさらに感心されていました。)


参加者の保護者のひとりの女性は「楽しかったです〜!たくさん良いものがあってホント選ぶのに悩んじゃいました〜!」と、喜びの声を聞かせて下さいました。

ほんの余談ではありますが、保護者で参加されていた方たちには、育休中の方々が多くおられたように思いました。赤ちゃんを抱っこやおんぶをしながら、そのお兄ちゃんやお姉ちゃんを連れ添っての参加です。大変であるだろうに、とも思ったのですが、表情や雰囲気を見るに、すこぶる穏やかなのですね。充実した育休生活を過ごされているように感じました。


さて、ここで面白いんじゃないかと思うことを記録しておきます。なかなか一般的な保育園や教育施設なんかじゃ、まず有り得ないようなことです。

前日の準備や、当日の片付けにいたるまで、会場の富岡保育園には、現場保育者は誰ひとりいませんでした。基本的には、村上だけです。さらに村上もたいした役をしていないんです。

何が言いたいかって、保育園内を、職員以外の方たち(ほぼ)だけで使っているんです。これって、富岡北地区まちづくり協議会の方々と、富岡保育園の職員との“信頼関係”が無ければ、絶対に有り得ないと思うんです。

実行委員会のひとりの男性が「学校とかのオープンスクール以上に“オープン”じゃな〜。」と、つぶやいていた通りなんです。


最後の片付けにいたっては、掃除機に雑巾かけに、なんなら普段磨かない隅々まで保育園内を(会場)綺麗にして下さいました。本当にありがとうございました。

※目玉商品の22インチのラベンダーカラーの自転車が500円で、さらにカラフルな鉄棒が200円で、無事売れました。

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見るだけでも楽しいし
悩んで選ぶのも楽しい
2023-04-23
明日は富岡保育園に集合です!!

-生活力のある富岡北地区まちづくり協議会-なんて称してみたらいかがなものでしょうか。


本日の午後から、明日に控えた「富岡北地区まちづくり協議会 第1回 バザー&リユースの会 in富岡保育園」の会場準備を行いました。

まずはじめに、ブログ読者の方も含め、たくさんの方からの、あらゆる品々のご寄付、誠にありがとうございました。まさか、こんなにたくさん集まるとは、正直思ってもみませんでした。

富岡北地区の方々から、富岡保育園の保護者の方々、本当にたくさんの方々が協力して下さいました。まさに地域への想いを感じるものでした。


このバザー&リユースの会について。計画や準備が実行される、その前の話しをしておかねばならないとも思っています。なぜなら、紆余曲折のような、すったもんだもあったんですから。

当初、まちづくり協議会の年間計画の中で「やれたらいいだろうね」程度であがったものだったんです、バザー&リユースの会は。けれども、いちよう担当者なども軽く決めていたものですから。担当者の方にとっては「どうやってやろうかな」程度まで気持ちが前向きだったんです。

ここで、この担当者について。僕の個人的見解ながら、今回、地域のイベントとして初めて行う企画(バザー&リユースの会)を、実行に移し、さらには、たくさんの方からあらゆる品々が集まったのは、この担当者の方の人望によるところが大きかったんじゃないかと思うんです。

今回のイベントの件でよく電話をいただいたのですが、たいてい「まぁ、ええがぁ〜。」と、大きくゆるく答えられるんです。そして、ちゃっかり、担当者ご自身は、足を使ってたくさんの方に品々の寄付を求めたり、またリヤカーをひいて汗を流して集めに行っておられたんです。

今日の準備の際にも、手伝いにやって来てくれた小学生に「顔を出してくれるだけで、ありがたいがぁ。」なんて、またまた大きくゆるく挨拶されるんです。


そんな、大きくゆるく呼びかける担当者の声で、今日は品々の仕分け、そして値決めなんてのを、かれこれ4時間ほど、10数名で行いました。

ここだけの話しですが、正直なところ、僕は集まった品々のその数を見て「これを仕分けなんて、それも値決めまで、無理だろう〜。」と、半ばあきらめていたんです。

ですがね、あきらめていたのは、僕だけだったみたいでした。集まった10数名の方々は、手際良くて。そして、生活用品なんてものの、値決めなんてものは“普段の生活力”が、もろに出ちゃうんですよ。元の値段を知った上で、そして一般的な財布感覚内で値決めされるわけです。詰め替え用の洗剤の値段なども分からない村上の、生活力の乏しさが露呈しちゃうんです。


皆さん!明日!4月23日!日曜日!

午前9時から12時!富岡保育園!集合ですよ!

バザー&リユースの会!

リーズナブルな生活用品もあります!

また無料の雑貨なども多数あります!

掘り出し物の陶器もありますよ!

来ないと損!損!

持ってけ泥棒!

(※小学生程度の自転車、自宅仕様の鉄棒、大理石や銅の花瓶などもありますよ。)

岡山県笠岡市富岡605富岡保育園まで!

気をつけてお越しください!待ってます!

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ご寄付ありがとうございました。
チカラを本当に合わせました。
持ってけ、泥棒!
2023-04-22
すべり台のてっぺんから草むらへ

昨日、富岡保育園では今年度初の「らんらんピクニックDAY」がありました。

※「らんらんピクニックDAY」とは、月に一度、就学前児童(5歳児)を対象としています。家庭から空の弁当箱を持参してもらい、当日に太陽の台所スタッフ(給食の先生)が、弁当の中身を作って詰めます。そしてそのお弁当箱を持って、園内の好きな場所、又は公園や神社へ行って“らんらん”と食べる活動のことを指します。

富岡保育園では、年齢別の設定保育などの活動がほとんど無いため、この月に一度、そして5歳児(classエジソン)のみ、といった限定感が、より一層のこと「らんらんピクニックDAY」を特別なものにしているようです。

実際のところ、特に4歳児(classニュートン)くらいの子どもにとっては、歯がゆい、悔しい、羨ましい、その羨望感とは、爪を噛みながらでも我慢する気持ちなのですね。その気持ち、念を持って、遂に、遂に、5歳児(classエジソン)になり、「らんらんピクニックDAY」に参加するんですから、そんじゃそこらの軽々しいものでなくなるんですよ。どこで食べようかな、誰と食べようかな、どうやって食べようかな‥思春期の学生が初デート前に、それは多くを想像したり妄想するかのように、5歳児の子どもたちは、その想像や妄想を実現させようとするのです。


今年度初の「らんらんピクニックDAY」は、ご近所の「富岡公園」にお邪魔して開催したようです。チューリップが咲き誇る花壇の側で食べる子ども。屋根付きのログハウス風の休憩所で食べる子ども。そして、すべり台のてっぺんで食べる子ども。それぞれに、今まで爪を噛みながら想像し妄想してきたことを実現させていました。


ここで、すべり台のてっぺんで食べていた子どものうちの、ひとりの男の子の小噺を記録しておこうと思います。

その男の子は、食べている途中、ふといなくなったと思ったら、公園の端っこあたりの草むらに消えていました。と、思ったら、またすべり台のてっぺんで食べている様子。これを何度となく繰り返していたんですね。

しばらくすると、今度は草むらに消えたまま、すべり台のてっぺん、つまりはお弁当を食べているところに帰ってこなくなりました。リュックサックやお弁当箱などが、散乱したままであったため、筆者はそばに近寄ってみることにしました。すると、筆者は目撃したものを見るや否や、すぐに察したんです。あの何度となく繰り返されていた、すべり台のてっぺんと、草むらの往復の意味をです。

何を目撃してしまったかと言えば、空の弁当箱の側にあった、箸入れです。ただ、当然“目撃してしまった”と記したのですから、そこいらの箸入れではないんです。箸入れの中で“何か”がサワサワと動いているのです。それは案外と、はやいのです。非常に機敏の良いものなのです。

サワサワと動く“何か”の正体は、カマキリの赤ちゃんでした。その男の子は、ひと口食べては、草むらで赤ちゃんのカマキリを捕まえて、そして箸入れに確保していたのです。もちろんサワサワとですから、何匹もですよ。

筆者はとりあえず、まずは散乱したリュックサックやお弁当箱を片付けるように、その男の子に呼びかけました。すると、手の内に“何か”を大事そうに掴む、いや包みながら駆けてきました。その“何か”とは、やっぱり赤ちゃんカマキリでした。

「むらかみ先生、ちょっと持っといて!」と、言われるがままに赤ちゃんカマキリを持っておくと(握りつぶさないように、手の内に若干の空間をあけて持つのです)、男の子は箸入れを素早くあけて、そして「入れて!」と、勢いよく言われるままに赤ちゃんカマキリを入れると、その勢いのままに、男の子は箸入れのふたを閉めました。


この記録に、筆者は加担、肩入れした格好になってしまったため、いちよう保護者の方へは、帰宅後、箸入れを洗う際に驚いてしまわないように、そっと告げておきました。

が、翌日のこと。保護者の方から聞いたところによると、帰宅する前に、箸入れを男の子は保育園で洗っていたんだそうです。と、いうことは赤ちゃんカマキリは逃げた、あるいは逃したのでしょうか。

記録はここまで。

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らんらん
2023-04-21
となり街の市役所へ行ったところ

お気に入りの上下“みどり”の衣類をまとった、とある方に対して‥「アマガエル」なんて呼ぶ人がいるそうです。失礼極まりないと言いましょうか、なにかのハラスメントとでも言いましょうか‥。


昨日、園長先生と僕とで、となり街である浅口市の市役所へ2つの目的を持って足を運びました。

1つ目。今年度から広域入所(井笠圏内、つまり笠岡市・浅口市・里庄町・井原市・矢掛町であれば、いくらかの条件を満たせば、市や町をまたいでの入所が可能である制度)の条件が緩和された(詳細は各市役所へお尋ね下さい)ことで、富岡保育園にも広域入所利用の園児・家庭が希望して下さるようになりました。そうすると、事務面などでは笠岡市役所だけでなく、その各自治体の市役所との連携が必要になってくるんですね。もちろんメールや電話などを使用するのですが‥ですが、その前に“顔合わせ”がしたかったんです。どんな方と(相手の方も思われているはずだと認識しています)今後メールや電話などを通じてやりとりするのか、こちらもきちんと誠意を持って挨拶をしておきたかったんです。

浅口市役所こども未来課へ行って、挨拶をし、加えて、富岡保育園の保育実践について10分程度ではありますが、園長先生と僕とで、広域入所担当の職員さんへ語らせてもらいました。担当者の方にとっては初めて聞くような内容であったかもしれませんが、とても興味や関心をもって好意的に話しを聞いて下さいました。今後のメールや電話でのやりとりにも間違いなく良い影響を与える対面だったと思います。貴重なお時間を割いて下さったことに感謝しています。

で、ここで2つ目の話題にうつる前に余談に入ります。広域入所担当者と対面する、そのほんの前の出来事です。こども未来課の課長らしき人物、すこし背丈のある女性が、それはにこやかに園長先生と僕の方に歩み寄って来られたのですね。マスクをされてはいましたが、その風貌と言いましょうか風格と言いましょうか‥すぐにピンときたのです、僕は。

そして僕はその女性に対して、反射的に最敬礼させてもらいました。なんたって、その女性(こども未来課課長)は、僕の小学校6年生当時の担任の先生だったからです。副園長という肩書きから、すぐさま小学生に戻ったのです。

ただ、その女性、つまり担任の先生は園長先生と富岡保育園についてを、担任や生徒といった間柄抜きに評価や感想を下さいました。非常に励みになる言葉もたくさん下さり、今後の活力にもなりました。

が、ここでこの余談を終えると、ただの良い話で終わるじゃないですか。余談には続きがあるんです。励みになる言葉を下さった、その終わりに‥その女性が、ほんの少しだけ当時(僕の小学校6年生)のエピソードを話して下さったんです。「あの当時、私が上下“みどり”の服装をしていったら、“アマガエル”って、あだ名をつけてくれたんよな、たいし君は。ワハハハ」


頭が上がらないとは、このようなことを指すのでしょう。


それでは、余談を終え2つ目にうつります。それは、ある人物に久しぶりに会いたい気持ちだったのです。それは、数年前に、笠岡市の教育委員会にて、いじめ対策などに携わっておられた、元笠岡東中学校校長先生です。その当時、富岡保育園にも何度か足を運んで下さり、教育について非常に熱く語って下さり、とても勇気づけられていたんです。

浅口市市役所のどこかにいるとの噂を聞いて、探してみようと思ったところに、ちょうど廊下ですれ違ったんですよ。当時と変わらず、背筋の伸びた、それでいて魂のこもった声でした。すぐに園長先生と僕は、握手を求めて挨拶をさせてもらいました。

現在は“人づくり課”に属しておられるそうで、浅口市内の小中学校をまわっておられるとのことでした。そして相変わらずの熱さ、熱血さで、現在でも現場へ行って、学生を時には抱っこしたりおんぶしたり体温を通わせながらコミュニケーションをはかっておられることをお聞きしました。

笠岡市内外、さまざまな方と、保育や教育、未来について、魂のぶつかり合う熱い想いを通わせることができる、そんなご縁に感謝の気持ちでいっぱいです。この気持ちをしっかり社会に還元できるように、より精力的に動いていきたいと思います。


そして、今さらながら“アマガエル”とお呼びしたこと、反省しております。いや、どちらかと言えば“ウシガエル”くらいの存在だったかな‥

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2023-04-20
出血の見られた2件を振り返る

出血の見られた2件について克明に記し、そして検証していきたいと思う。

1件目は、昨日17時30分の出来事である。場所は富岡保育園、裏庭にある木造の小屋。3歳児の男の子が、小屋の内部にある高さ1メートルほどの段差を登ろうとすると、足をすべらせてしまい、下に転がっていたビールケースあたりに落下してしまいました。ビールケースに左側頭部を打ちつけたと見られ、出血が見られました。側にいた保育者は、すぐに介助すると同時に、近くの保育者を呼びました。

近くの保育者の方が、経験もあることから、止血処理の対応を請け負い、そして側にいた保育者は管理者に報告へ向かいました。

幸いにも、その男の子は帽子をかぶっていたこともあり、外傷は軽傷のように見られました。止血処理の対応をする保育者は、やさしく抱っこをしながら布をあてがいます。また声かけについては、普段よりも、よりトーンを穏やかに意識しながら“大丈夫だよ”と伝えながら止血処理に10分ほど費やしました。(ちなみに、止血処理は、静かな部屋を選び、周りの保育者は、その周りにいる子どもたちが野次馬にならないように、いつも通りを意識しながらのさりげなく配慮を行います。)

その間、側にいた保育者から報告を受けた管理職は、現場に向かい現状を把握すると、すぐに病院の手配と、そして保護者へ現状を知らせます。

電話連絡中に、無事に止血が完了したこともあり、すぐに病院へ向かいます。

病院では、外傷部分を消毒し、外傷が擦り傷であることを確認し、そして子どもの状態などを観察しながら、軽傷であるとの診察をしてもらいました。診察後に、ちょうど保護者の方が病院へ駆けつけて下さり、診察の内容を伝えました。その後、念の為、ひと針とめてもらうことで、処置は完了しました。(1週間後に抜糸予定です。)

ひと晩の間、保護者の方が様子を見て下さり、大きな変化もないことから、本日、無事に登園することができました。


2件目。本日午前8時30分頃の出来事。場所は富岡保育園前の旧国道沿い。女子高校生が保育園の側で怪我をしていることを、保育園へ牛乳を配達して下さる坂本さんから伝達を受け、すぐさま園長・副園長・牛乳屋さん(坂本さん)で現場へ急行。持ち物としては、救急バックと、タオル、ティッシュ、ビニール袋を携えました。

現場へ行くと、口の辺りを押さえて大量に出血をしている女子高校生が震えながら立ちすくんでいました。

現場へ先に着いた僕(副園長)が、意識と歩けるかどうかの確認をとり、うなずくことができることと、歩くことができることが分かりました。次に着いた園長に女子高校生を保育園(徒歩1分ほど)まで同伴してもらい、初期対応処置を託しました。

現場の道路に散らばった血だらけの自転車や持ち物などを、牛乳屋さんと僕とで手分けして、保育園へ運ぶことにしました。

憶測ではありますが、自転車のハンドルにかけられていた、手さげカバンの裾辺りが、走行中に車輪に絡まってしまい、急停止してしまったのだと思われます。その急停止の勢いで、顔面をハンドルあたりに強く打ちつけてしまったのではないかと。

持ち運んでいる間、保育園に無事着いた園長は初期対応を行っていました。まずは流水できれいに洗い流した後に、アゴあたりの開いている外傷部分を、なるべく閉じながら十字にテープで止めます。

そして、その間、意識をなんとか保っていた女子高校生が連絡して呼んだ保護者の方が、保育園へ到着します。

保護者の方へは、牛乳屋さんが経過を伝えつつ、病院の手配をしてもらいました。

なんとか止血しつつ、病院への手配も完了したことから、女子高校生と保護者の方は病院へ向かいました。(アゴの骨折だったそうです。)

病院へ行っている間、血だらけの故障の見られる自転車を、牛乳屋さんのすすめで、富岡保育園から最寄りの自転車さんへ僕は運び、その際に、血だらけになった現場の、道路沿いのお宅に訳を話し、道路やお庭を洗い流してもらいました。


これが、出血の見られた2件であります。2件とも、初期対応や、またフォロー対応についても、教科書通りの運びであったと思います。基本中の基本は、まずは対応にあたる人物が「慌てない、焦らない」ことです。出血にビックリしてしまい、そして大声を上げたり険しい表情をあげるならば、それは逆効果極まりない、絶対にやってはいけない対応なのです。

そして、2件とも、すぐに怪我人の“安全を確保”したことは大正解でした。怪我のあった場所で、もしも二次災害などが起これば、悪化する可能性もありました。


さて、ここまでお読みになったブログ読者の方で、もしも!「出血の見られる前に、むしろ、出血させない努力をしろよ!」と、ツッコまれた方いませんか?

もちろん努力します。そして反省もします。例えば、その3歳児の男の子の運動面の発達についての理解が及んでおらず、見守る距離への課題ができたことも確かです。

ただ、出血させないために、例えば、その小屋の段差を全部取り外したり、もしくはビールケースを全て除外し、遊ぶものは全て当たっても怪我をしないゴム製品にしたら!?本当に出血は絶対有り得ないでしょうか?

女子高校生は、マナーを守って運転をしていました。まさか勉強道具の入った手さげカバンが車輪に絡まるなんて夢にも思っていなかったんだと思います。では、例えば、その手さげカバンをやめたとしたら、女子高校生は絶対に怪我をしないなんて言い切れるでしょうか?


玩具を全てゴム製品にしたり、手さげカバンをハンドルにかけることをやめたとしても、それは“安心”材料の1つではありますが、決して“安全”になったわけではありません。

もしも、それで安全だと盲信することは、危険の始まりでしかありません。


現在、国からのお達しにより、保育園における安全計画の強化がすすめられています。もちろん富岡保育園でも年間を通じで“安全”をテーマにした会議や研修を行なっていきます。

が、しかし!いくら安全を追い求めても、絶対の安全はないことを自覚しておかなければ、それはやはり危険の始まりでしかないんです。


「〇〇は安心できるから安全である」

逆に‥

「〇〇は安全だから安心できる」

ともに、よくよく考えると、おかしいのですよ。〇〇に具体的なものを当てはめてみると分かりやすいですよ。


ただですね、じゃあ、安心もできない、安全でもない、そんな社会(保育園も含めて)で生きていくなんて、世知辛過ぎますよね?

それを乗り切る、1つの方法として「本当に心配すべきことを選ぶ目を持つ」ことが挙げられます。

※参考文献「京大変人講座」


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3歳児の男の子、また女子高校生の方、1日でも早い治癒、回復を心より願っています。また保護者様、この度は大変ご心配をおかけし申し訳ございませんでした。今後、今以上に園児の成長や発達状況を把握し、環境構成ならびに対応の工夫を凝らしていきたいと省みております。またなにか気になる点やご不安な点などありましたら、適宜お知らせ下さい。宜しくお願い致します。

2023-04-19
保育雑誌『遊育』編集部とのご縁

Policy(政策)、Information &Date(情報)、Vision(未来像)をキーワードに、幼児教育・保育に関する様々な情報提供を行うことにより、この分野の発展・充実・振興に資することを目指しておられる、雑誌『遊育』の編集部の方から先日のこと連絡がありました。

なんでも、その編集部の方は昨年度2月に開催された「社会福祉ヒーローズ」を取材して下さっていたそうで‥それに加えて、その方は全国の若手園長先生たちと定期的に交流しているそうなんです。

でもって、その交流会の時に話題にのぼったのが、この「副園長ブログ」みたいなんです。「このブログを綴っている副園長と交流してみよう」と、その交流会のメンバーの言葉のあや、又は少々アルコールが入ってのことかもしれません。熟慮して会うより、間違いなく勢いで会わないと、会いづらそうな、そんなブログ内容を綴っている副園長ですしね。

さっそくその勢いのままに、編集部の方が代表して連絡を下さいました。はじめはオンラインミーティングへの参加依頼だったのですが、副園長のあやで、さっそく来月に都内某所に集合する予定になりました。僕自身は、やっぱり直接会ったり、直接園に足を運んで、その空気感いっぱいに交流したいんです。(直接、乾杯したいという欲望も先立っています。)

いかんせん、この編集部の方のスピード感ある連絡のやりとり、大好きなんです。鉄は熱いうちに打て、と言いますが‥僕の場合は「鉄は熱いうちに打って打って打ち壊せ」タイプなんですね。

たった数日でチョンマゲを切った幕末なんて変革期には、間違いなく歴史に残っていない“人と人との直接の交流”があったはずなんです。その積み重ねで、何かを生み出すことができるんです。(量より質、以前に「まずは圧倒的な量」が大事。)

編集部の方、また交流会メンバーの園長先生方、このたびのご縁、誠にありがとうございます。楽しみに駆けつけたいと思います。宜しくお願い致します。


~おまけ~

ブログなんて、要は書き手の書き様で、どのようにでもなりそうですよね。幼児教育や保育について知ったかぶっている様でもある、書き手の副園長の、その人柄を知れた方がいいんじゃないか。

今では(37歳)ウイスキーのロックを片手にレコードを聴きながら司馬遼太郎の小説を読んでいる、僕ではありますが‥小学3年生の頃には担任の先生から「おしゃべり大魔王」と称されていました。先生の授業に、その都度、口を挟むものですから煙たがられていたはずです。例えば算数の重さを計算する授業では、「問題文の、その重さを計算する直前に、もしも何かの生き物が秤の上に止まったりしたら、答え変わるんじゃないんですか」なんて、かなり面倒な奴ですよ。中学生の頃には、禿げた理科の先生の頭めがけて、窓から差し込む日差しをアルミタイプの定規などを利用して屈折させては命中させて、叱れられていました。そんな人柄です。

なので、この副園長ブログを読んで「おもしろいな」と思えば、全国どこからでも気軽にお呼びください。乾杯しながらお話ししましょう。

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長時間に及でいます、この姿
2023-04-18
ダムダム、ダムダム‥

ダムダム、ダムダム‥

ダムダム、ダムダム‥

ある少年漫画好きの方であれば、聞き覚えのある音ではないでしょうか。

近頃は映画化もされた「スラムダンク」というバスケットボール漫画での、あるシーンの音です。あれですよ、バスケットボールの基本中の基本の“ドリブル”というテクニックです。手の平を広げて、ボールを地面に押しつけるようにバウンドさせるんです、それも連続的に。

昔あそびに出てくるような、まりつきなどとは、どうも音が違うように思います。まりつきは、トントン、トントンくらいの音だと思うんです。でもドリブルとなると、ダムダム、ダムダムと力強くこだまするように聞こえるんです。


お昼ごろだったでしょうか、その力強くこだまする音、ダムダム、ダムダムが前庭のあたりから聞こえてきました。ひとりの男の子が熱心にドリブルしています。ダムダム、ダムダムの音が途切れずに連続的に聞こえるあたり、かなりの上達ぶりを感じました。

バスケットボール好きの小学生が春休みに、とみほ村へやって来て、よくドリブルをしていたんです。ダムダム、ダムダムとね。そのテクニックに、園児は憧れて、見たり真似たりしていました。ただ案外、見た感じより難しいんですよ、ドリブルって。地面にバウンドさせた後に、また自分の手の平に吸いつけるようにして、そしてまたバウンドさせることを連続的にしなきゃなんです。

実は筆者はバスケットボール部に所属していたこともあり、よく分かるんです。ドリブルはやればやるほど上達するんです。(反面、やらなきゃ上達しないんです。)


もうお分かりの通り、お昼ごろに熱心にダムダム、ダムダムさせていた男の子は、バスケットボール好きの小学生に憧れていた園児のうちの1人です。

その男の子が、ダムダム、ダムダムさせながら、突然に近くの友だちに呼びかけたんです。「ちょっと、見て!!!」

あまりに威勢の良い声に、つい筆者も見てしまいました。すると、男の子は、ダムダムした後、華麗にそして軽やかにフィギアスケートの選手のように体を一回転させ、そしてまたダムダムとドリブルをしていたんです。熱心な努力の賜物でしょう、アレンジしたテクニックを習得していました。


子ども同士の“好き”の連鎖、影響を、まざまざと見せつけられた、昼下がり。

PS ダムダム、ダムダムの音って、特別な青春を感じてしまうんですよね。

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2023-04-17
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