副園長ブログ
歳をとるにつれ1日、1年が早く感じるようになってきた村上です。10月に入りましたがまだまだ暑い日が続き、水遊びをする子どもも多くいたように思います。 時間経過感覚は、年齢を重ねるごとに早く感じるようで、子どもと大人では約4倍ほど違うのだとか。 さて、午前中ひとりの女の子が廊下に転がって“ボーッとする時間”を過ごしていました。何を考えて“ボーッとする時間”を過ごしているかは僕には分かりませんが、転がり方を変えたり、視線を変えたりして“ボーッする時間”を過ごしていました。 実は、この“このボーッとする時間”こそが、他の誰のものでもない自分自身の人生のモノサシ、『人生の羅針盤』を育むために最も必要な時間ということを皆さん知っていましたか? 知らずに子どもから“ボーッとする時間”を奪ってしまったら⁉︎結果的に他人や世間のモノサシに依存することでしか自分の人生を評価できない人になってしまう可能性が高まってしまうかもしれません。 廊下に転がって“ボーッする時間”を過ごすこの子どもは、「自分と向き合い」そして「情報や記憶を整理して」「脳に休息を与える」ことにより、また新たな“ひらめき”を持って遊びに移っていきます。この度は、僕も含め、友達や保育者が誰も邪魔をすることなく“ボーッとする時間”を過ごすことが出来てひと安心でした。 |
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2019-10-01 |
久しぶりにトイレ掃除をした村上です。いつも他の保育者の方に任せっきりになってしまい申し訳ないなと反省もするところです。そんな久しぶりにトイレ掃除をする村上を心配した子どもたちが、普段トイレ掃除をする保育者の作業の工程を事細かく教えてくれます。中には見かねてか手伝ってくれる子どももおり大変助かりました。 さて、今週土曜日開催予定の“にじフェス”(そらにとどけ ひかりかがやく にじいろフェスティバル)では、体育館一面に保育研究記録を張り出す予定です。保育研究記録とは、今年度から取り組んでいるのですが、クラス担任など問わず、保育者が子どもたちの遊びを見守り、見守った背景(エピソード)から子どもの育ちや発達を考察して捉えていきます。僕も時折、保育研究記録に挑戦してみるのですが、考察していくうちに、たいていは子どもの育ちから僕自身が学ぶことの方がほとんどでもあります。 今日職員向けに綴った僕の保育研究記録を紹介させて頂きます。 (※少し長文になりますがご勘弁下さいませ。) 【柔軟な特別ルール】 ~背景・エピソード~ おやつ後の自由遊びの時間。園庭にいますと、A児(6歳4ヶ月)B児(5歳6ヶ月)C児(5歳8ヶ月)D児(6歳0ヶ月)E児(5歳8ヶ月)F児(5歳3ヶ月)から鬼ごっこに誘われました。 このメンバーの中では、A児がリーダーシップをとっているようで、しっぽ取りや氷鬼ごっこ、ノーマルの鬼ごっこと変えていき遊びました。 僕は何度か走ると疲れたので「ちょっと休ませてほしい」と頼みました。するとA児が代弁してくれて「今、村上先生タイムだから無しな!」とメンバーに伝えてくれます。 子ども同士で鬼ごっこが展開されていく中で、途中にG児(5歳1ヶ月)やH児(4歳6ヶ月)が加わっていきます。 走る速度や、動きの機敏さや身のこなし、また逃げ方や捕まえ方の策略の講じ方は個々に違うのは僕から見てもよく分かります。 すると、何度か同じ人が鬼になると、誰かしらが「〇〇ちゃんはバリアありな」と、特別ルールが作られます。そして、C児がタッチされて泣いていると‥(僕の目からはタッチされて鬼になったことが嫌なのかプライドが許さなかったのかで泣いていたように見えましたが)何人かが駆け寄り、F児が僕のところへ来て「足に虫がついたから泣いたんで。でも、もう虫おらんから大丈夫なんよ」と言って、また駆け寄っていきます。 すると、A児が「今、C児は鬼が出来ないから、僕から始めるな」と、またしても特別ルールができて鬼ごっこが再開されました。 ~考察~ 僕が知っているだろう既存の決められた一律のルールで、このメンバーで鬼ごっこをしていたら、どうなったでしょうか?もしかすると、同じ人ばかりが鬼になったり、その人が嫌な気持ちになってしまったり。また、C児がタッチされて泣いているところに、もし僕が「鬼になったくらいて泣いてどうするん⁉︎頑張りや‼︎」と言っていたら‥どうなったことでしょうか。F児とA児の機転のきいた、共感性に富んだ言葉の差し替えと、柔軟なルールの変更があったからこそ、C児は再びフィールドに戻って鬼ごっこを楽しめていたように思います。 決められたルールの中で遊ぶ楽しさはもちろんあります。しかし、その時々でメンバーや環境が違う場合、そこで“最適解”を考え遊びを楽しむ力が子どもたちにはあります。それの1つの手段が今回は特別ルールでした。 子どもたちは、自分たちの目的(遊びを楽しむ)を明確にもっています。そして目的のためには手段を選びません。言い換えるなら目的のために手段を考えます。これが、もし僕が手段(決められたルール)を徹底してしまっていたら⁉︎目的は果たせていなかったでしょう。 ちなみに、幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿(保育所保育指針 幼稚園教育要領 幼保連携型認定こども園教育要領で示されている)の、ここでは、[規範意識]に焦点を当てても考察してみます。規範意識とは、道徳や倫理、ルールを守ると言った意味がありますが、ここで僕は気をつけなればならない点があると最近特に思います。 それは、道徳や倫理など、国や宗教、民族、文化などが違えば当然違ってくる価値観であることを、人間は必ず理解しておかなければならないことです。 理解しているならば、今回の鬼ごっこのメンバーのように、メンバー全員が目的を果たせるよう特別ルールなども設けたり柔軟に対応することができます。しかし、理解していなければ、固定の価値観を押し付け、もしくは個人の正義を振りかざし、トラブルを巻き起こし兼ねない。 “規範意識”を学ぶには、大人は子どもから学ぶのが1番手っ取り早いのではなかろうかとさえ思ってしまう今日の鬼ごっこの場面でした。子どもたちは、反射的に“規範意識”を柔軟に捉えて遊びます。 終わり このように、遊びの背景を捉えて考察していくことで、僕自身、保育者自身の子どもの見え方が変わり学ぶ良い機会と思い保育研究記録に取り組んでいます。“にじフェス”の際もお楽しみ下さい。 |
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2019-09-30 |
マーチングバンドの中高生岡山県大会に行ってきました村上です。音楽に心が熱く揺さぶられて感激して鳥肌が立ちました。学生たちの青春パワーに感謝です。 さて、昨日紹介しました東京都千代田区立麹町中学校工藤勇一先生の本の中で、子育てに関わる人にとって参考になる内容がありましたのでまたご紹介させて頂きます。 保育 幼児教育を担う私たち保育者、また家庭での子育てを担う保護者の方にとって、「どこまで厳しく叱ればよいか?」という悩みは一度はもったことがあるのではないでしょうか。そのような時に工藤先生が意識することは【優先順位】です。叱る基準の【優先順位】を決めておけば、叱る頻度が減り、子どもはもちろん大人も不要なエネルギーを使ってストレスを抱えなくてすみます。 そして、叱る前には「これは何を“目的”として子どもを叱ろうとしているんだっけ⁉︎」と一度冷静に考えてみることが大事なのではないでしょうか。 実際に、僕も保育の現場で叱る場面は多々ありました。怒鳴ったことも多々ありました。しかし、連日、細かなことで同じように叱ってしまうと、子どもたちは本当は何が大事なのか区別がつかなくなっていたのではと反省しています。 3年前ほどより、“見守る保育”に出会い、子どもたちを「どのように見て、どのように守るかを自問自答しながら保育する」ことで、命に関わる危険なことや人権的に反すること以外は、怒鳴ったり叱る言葉が格段に減ったと自分でも思います。【優先順位】が間違いなく子どもの発達を知ろうとする視点に変わったことが理由の1つに挙げられます。 |
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2019-09-29 |
『世界一幸せな保育園を作る』ことが夢の1つである村上です。9月もそろそろ終わりますね。 親だけに限らず大人たちは、子どもに対して世の中を幸せに生きて欲しいと願うのは常だと思います。 そこで、大人たちが子どもに対して願う“幸せ”の正体について、東京都千代田区立麹町中学校校長 工藤勇一先生の著書「麹町中学校の型破り校長 非常識な教え」という本から学んでみたいと思います。 大人たちが「幸せだ」逆に「不幸だ」と感じる時、実はそこには比較対象があるということ。大人の頭の中に“理想の線”が引いてあって、その基準に満たないと自分を憂いたり、環境を批判したりするということ。 では、その“理想の線”とは?年収や学歴、世間体や外見、承認欲求に友だちの数など‥たくさん持てば持つほど不幸やストレスを感じやすくなります。だから、大人が幸せになる方法としては、“理想の線”を断捨離をするだけ。 大人が“理想の線”を断捨離することで、子どもの中での“理想の線”を減らすことができるかもしれません。すると子どもたちが「幸せ」と感じることがとても簡単にたくさんできるのではないでしょうか。 この本には、東京のど真ん中で「常識」をひっくり返した、宿題の廃止、定期テストの廃止、担任制の廃止などなどの学校改革をした工藤先生の、これからを生き抜く子どもを育む僕たちへのメッセージが熱く記されています。世の中の「当たり前」に対し【問い】を真っ向から持って動かれた方でもあり、保育 幼児教育を司る僕にも胸に突き刺さる内容でしたので少しずつ紹介していきたいと思います。 |
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2019-09-28 |
こんばんは。「ブログ見てます~」と言う声を聞くと余計と張り切ってしまう承認欲求が強めの村上です。誰かに自分が好きで取り組んでいることや、没頭していることを認めてもらうと、人は間違いなく成長します。なので僕も絶賛成長期です。 さて、10月5日(土)に開催されます“にじフェス”「そらまでとどけ! ひかりかがやく にじいろフェスティバル」の情報が解禁されてきましたのでお伝えしていこうと思います。 と、その前に、そもそもトミホ(富岡保育園)では、世間一般では当たり前にある“運動会”や“発表会”といった行事を昨年度より廃止しました。だからと言って、園内で運動遊びや表現遊びが無くなる訳ではありません。無くなったのは、“運動会”や“発表会”といった大人が決めた行事と、その行事に対して行われる練習の時間です。なぜ、“運動会”や“発表会”といった「達成感」や「満足感」が得られそうな行事を廃止したのか⁉︎ この疑問には、このような【問い】もできないでしょうか? 「達成感や満足感が最上位の目的ならば、その目的を果たすために、日々の遊びを犠牲にしてまで大人が決めた“運動会”や“発表会”を行う必要性があるのか?」 この【問い】に対しては、多くの意見が飛び交うと予想されますし、意見が出なくてはいけないと思っています。僕たちが幼少期や学生時代に“当たり前”と思っていたことに対して【問い】を持つことから、トミホ(富岡保育園)は保育リノベーションをする際に始めました。 話は少し逸れましたが、“にじフェス”は、0歳~120歳まで誰でも参加が出来るイベントの様です。持ち物も不要で、楽しむ気持ちだけ忘れないようにとプログラムに明記されていました。 ちなみに、“にじフェス”に関して子どもたちは練習していませんし、職員も予行演習など特に行わず軽い打ち合わせが主任先生からあった程度です。「そんな準備で大丈夫なのですか?」と、心配になりますが御安心を。このイベントは、保育者が楽しませてくれるものではなく、参加者全員が「どうやったら楽しめるだろうか」と“当事者意識”を持って考えながら楽しむイベントだからです。 ※園児や保護者でなくとも参加できますので、プログラムが欲しい方は園の方へお電話い頂ければと思います。(☎︎0865−62−2487) |
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2019-09-27 |
京都大学1日体験から帰ってきた村上です。染まりやすい性格なので気分は京大生になって、保育園では何を研究しようかな⁉︎と自問自答して1日過ごしました。 さて、そら(0.1歳児)グループでは、子どもの発達に応じてミルクを哺乳瓶であげている場面がありました。保育者に抱っこされながら、「よく飲んでるね~」と声をかけてもらいながら、そして微笑みかけてもらいながら。皆さんも想像できる場面だと思います。 実は、このありきたりな場面にも、“科学的根拠”に基づいた「ヒトの発達」に重要な原理が隠されていることにお気づきでしょうか? ちなみに、このミルクを哺乳瓶で飲んでいた子どもの表情はとても『心地よい』ものでした。この【他者は『心地よさ』をもたらしてくれるという記憶】が→【他者との円滑に関係を築いていくための土台】になるのです。 そして、その土台にを築く為には‥この保育者のように抱っこ(身体内部に生じる『心地よい』感覚)と、「よく飲んでるね~」との声かけや、微笑みかけてもらう(身体外側からの『心地よい』感覚)ことが、同時に行われる必要があるのです。 裏返すなら、抱っこしながらミルクを飲ませていたとしても、微笑みかけていなかったら⁉︎声をかける代わりにスマートフォンを見せていたら⁉︎【他者との円滑に関係を築いていくための土台】が作るチャンスを損失してしまうことになります。 このような“科学的根拠”が示す子育ての概念を、知っているのと、知らないのとでは大きな違いがあります。多様な情報が飛び交う現代だからこそ、正確な情報は“科学的根拠”に基づいて得なければなりません。 『知らないことを知る勇気』を持って、子育てを楽しめたら、大人の発達もできることにお気づきでしょうか? ※『ヒトの発達の謎を解く』−胎児期から人類の未来まで–明和政子 京都大学大学院教育学研究科教授 10月9日発売‼︎ちくま書(本体価格820円+税)ヒトの脳と心が生まれ、発達していくという生命現象を真に理解するための一冊です。 |
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2019-09-26 |
1日お疲れ様です。学生の時には入学できなかった京都大学に1日侵入学してきました村上です。なぜ京都大学へ⁉︎今日は京都大学大学院教育学研究科の明和政子先生のおられる明和研究室にお邪魔するためです。 明和先生は、「脳と心の発達」について科学的に研究されておられる方で、まさに乳幼児期の保育、子育てを担う僕たちは必ず学ばなければならないんです。 http://myowa.educ.kyoto-u.ac.jp/ (↑明和研究室に興味がある方はどうぞ) 保育や子育てが決して経験論や感情論だけにならないためにも、科学者たちが解き明かした科学的根拠(原理や本質)を学び実践していかなければなりません。 明和研究室では、あらゆる専門分野の方々を交えて、「脳と心の発達」を研究されていました。教育の専門家だけでは、まずこのような科学的根拠まで辿りつけないんだと思います。 そして、僕のような現場での試行錯誤の内容について、丁寧に科学的根拠に基づいてお答えして下さる明和政子先生と、研究チームの方々でした。それは、常に『疑う』思考から本質を解き明かそうとする“科学者の底力”ではないかと感じました。 約2時間ほどテーブルを囲んで熱い学び合いをさせて頂きましたので、詳細については今後ブログ読者の方にも伝えて共有していきたいと思います。 僕のように園から飛び出し『学びたいことを学べる』環境は、仲間(保育者仲間はもちろん保護者の方、園児の皆)のお陰であることは間違いありません。感謝は即行動で示していきたいと思いますので今後もご協力宜しくお願いします。 |
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2019-09-25 |
こんばんは。お昼に岡山政経塾の先生と野菜ソムリエの方が作られるランチを頂きました村上です。五穀米ならぬ七穀米もあり、どのお菜もそれぞれに“違う”食材や味付けしたが、どのお菜の邪魔をすることやく調和がとれていたように思います。 先日の『“いじめ”をコントロールする』というブログ記事をほとんどそのままトミホ(富岡保育園)が属する笠岡市の学校教育課いじめ支援員の先生に投稿しました。すると、直ぐに丁寧で実直な返事を頂きました。またその中身には笠岡市の教育に対しての熱い想いと覚悟にも似たような印象を受けました。本来なら笠岡市の教職員限定なのですが、教職員に限らず、このブログの読者が“今”を生きる、そして次世代へ希望を繋ぐ同士の方だと信じておりますので是非とも紹介させて下さい。
以下 私は「いじめ」をなくすのではなく、コントロールするという考え方に心を揺さぶられました。このご意見にもあるように「いじめ」は本来人間(ヒト)が持つ本能で「なくならない」ということをよく耳にします。だからコントロールするということなのでしょうか。また「違う」感覚を大切にする教育は、私も同様の考えを持っています。揃っていることが美しいと言われていた時代、それに疑問を持ち体育会の全校マスゲームで「自分の好きなTシャツを着てやろう」と提案しました。体育会当日、一枚として同じTシャツはなく、子どもたちは自分のTシャツを誇らしげに、友だちのTシャツを興味深そうに見つめていました。お揃いの体操服から始められていますが、日々の生活の中であらゆる角度から「違い」を認め合える実践は可能です。「いじめ」をコントロールする心を養う一つの方法として、有効な手段はたくさんあると思います。 約1年前掲載した樹木希林さんの言葉です。「ひとりひとり違って生まれる 当然差別がある いじめは違いから起こる 私も人をいじめたし いじめられたし それをなくそうなって ねぇ 果てしのない道のりです」「じゃあさ 皆で 同じ形のロボット人間に それじゃ つまりませんねぇ」 違うことで排除するのではなく、子どもたちがお互いの個性を認め合う人に育ってくれたら、人(ヒト)は本来のホモ・サピエンス(知恵のある人)の道を歩んでいけるということなのでしょうか。 小難しい事を言いましたが、ヒトがヒトとして生きるために、教育が果たす役割は「大」だと考えます。 いじめ対策支援員の方に限らず、学校や保育園の先生だけに限らず、“今”を生きる全ての人で向き合いたい、そして向き合えるように発信していくことも僕は努めと感じています。 |
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2019-09-24 |
岡山県総社市「おーいし堂」のソフトクリームを食べました食欲の秋を満喫する村上です。休日は、“とりあえず”行ったことがないお店に行ったり、やったことがない体験をしたりするよう努めています。つい、年齢や経験を重ねるごとに、いつもと同じお店や、いつもと同じ体験をするようになってしまっているので意識的に“とりあえず”という感覚でいるようにしています。 先日、古道具屋で「測り」を頂いたので、園庭の砂場近くに置いてみました。さっそく見つけた子どもが“とりあえず”玩具を置いていました。そして、玩具を重ねたり、砂を盛ったり。また、手で体重をかけてみたり。すると、針が進んだり戻ったりするのを見て、自分で決めた数字(今回は「5」を目指していたようです)めがけて、玩具などのバランスを慎重に保ちながら、どんどん「測り」に積んでいきます。この子どもは、もちろん説明書を読んだわけでもなく“とりあえず”遊びはじめてみたんだと思います。玩具のバランスを保ちながら「数字」や「重量」の本質を『学び』とったかもしれません。 だとするなら、『学び』は“とりあえず”から始まるのでしょうか。 |
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2019-09-23 |
休日にスターバックスで読書の秋にふけっております村上です。本日は先日紹介させて頂きました苫野一徳さんの「ほんとうの道徳」という本を読み進めていきました。 さしずめ、【道徳】とは⁉︎ある時代、ある共同体(国や地域や学校など)に限定された“習俗の価値”にすぎない。時代や文化を超えた絶対に普遍的な道徳などなく。道徳とは絶対に正しい価値観ではない。 と、まずは結論が述べられておりました。“習俗の価値”は、小さな共同体がまとまるためには強力な共通の価値観が必要だったので、とても大事にされていました。しかし、きわめて多様な人々からなる現代の社会において、家庭環境や文化的背景も様々であるにも関わらず、“習俗の価値”を押し付けてしまったら?異なる価値観との対立が起こるのではないでしょうか。 そこで人類が見つけ出した知恵こそが『自由の相互承認』なのです。『自由の相互承認』について、苫野一徳さんが小学生から僕にまで分かる説明をしていましたので、少し長いですがご紹介させて頂きます。 ~社会には本当に色んな人がいる。お金持ちもいれば、貧しい人もいる。幸せな家庭で育った人もいれば、そうじゃない人もいる。会社に勤めている人もいれば、職人さんもいれば先生だっている。病気で働けない人もある。障害のある人もいる。日本人もいれば外国人もいる。仏教を信じている人もいれば、キリスト教を信じている人もいる。宗教を信じていない人もいる。 だから、みんなそれぞれ違った考えを持っている。そしてそのために、お互いがケンカになってしまうことがある‥下手をするとそのケンカは暴力や殺し合いにまで発展してしまうかもしれない。実際、人類はそうやって戦争を続けてきた‥じゃあ、そんな色んな考えを持った人たちが、共に生きていくためにはどうすればいいんだろうか? それは、お互いがお互いに、ののしり合うのではなくてまず認め合うこと。障害があろうがなかろうが、宗教が違おうが、お金持ちだろうがそうじゃなかろうが、まずは同じ人間として認め合うこと。そしてそれを、社会のルールとすること。 まずは認め合う。それが、市民道徳と言われるものの一番大事なポイントなのだ。そしてその上で、調整し合う。まずは認め合うけど、共に生きていく中でどうしても認められないことだってある。だからそのことについては、暴力に頼ることなく、お互いに調整し合うのだ~ 当たり前のようで、僕自身自覚できていなかった『自由の相互承認』。改めて、幼児教育を含めた教育の鍵になるのでは⁉︎と考えるとともに、では、『自由の相互承認』を原理とした社会を、僕たちはどうすれば作っていくことが出来るのでしょうか? 多様な平和へと向かう今の時代に生きる僕たちの使命なのでは⁉︎皆で一緒に考えていきましょう。 |
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2019-09-22 |
隣町の人気パン屋で「シミクロワッサン」たる魅力がありそうなパンが限定的に販売されるということで、行列が出来ると仮説を立てて、いざ意気揚々と営業時間前に並んでみた村上です。検証結果は、朝早いからなのか、それとも限定販売に購入者が慣れているのか営業時間に入ってからお客さんは続々と来店する様子でした。 さて、土曜日の午後からはトミホ(富岡保育園)では職員会議が行われます。日々の保育実践での疑問や課題を、年齢児別のクラス問わず話し合います。そして、来月(10月5日)に控えた“虹フェス”(1年に1度開催されるフェスティバル※昨年度はスマイルフェスティバルでした)についても話し合いが進んでいます。 そんな最中に、今日は村上より1つの議案をテーマに入れてもらいました。 『職員同士で名前を呼び合う際に“ファーストネーム”で呼び合えないだろうか』 なぜ虹フェスというイベントを控えながらも、このような議案を持ちかけたかと言いますと。見守る保育を保育実践していくうちに、先生と子どもの関係性が、今までの先生主体の活動から子ども主体の関係性に移行して以降、縦(上下)の関係性でなくなったこと。それは、大人と子どもという関係性よりも、1人の「人」と「人」として尊重し合う姿なのかもしれません。そして、そうであると“仮説”を立てたとして、職員同士が“ファーストネーム”で呼び合うことにより、「先生」という肩書きを前に、1人の「人」と「人」とを認め合う姿を子どもたちに見せられたとしたら⁉︎と、いう“仮説”を立ててみました。 今日の職員会議では、この議案に対して様々な意見が飛び交う中、「園長先生なども含めて、9月中ファーストネームで呼び合うチャレンジをする」という納得解が導き出されました。このチャレンジが子どもたちにとってどのような作用があったか。また、大人と子ども、大人と大人の関係性に何か作用が表れたかを、“検証”していきたいと思います。 “仮説”と“検証”の繰り返しで、人類は進化と存続の道を辿ってきました。 昨日、夕方前に雨が降ってきた際に、ひかり(2歳児)グループの子どもたちが縁側に出てきて、「雨だ!雨!食べてみよ!」「雨獲ってみよ!」などなど口々にしながら縁側から手を伸ばし雨を触ろうとしていました。「雨は食べれるのだろうか」と“仮説”を立てて、実際に手を伸ばして触り“検証”する姿こそ、人類の進化と存続を支えてきたDNAの象徴だったのでは。 |
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2019-09-21 |
こんばんは。久しぶりに氷鬼ごっこで鬼になった村上です。今日は近隣の小学校で、小学1年生と就学前の子どもたち(エジソン 5歳児)との交流会でした。1年生の担任の先生の主導のもと、何種類かの鬼ごっこを活動として行い、その中には、整列をして並んだりする活動も含まれていました。トミホ(富岡保育園)の子どもたちは、普段整列をして並ぶ練習や、先生主導のルールのある遊びをすることはありませんが、1年生の姿を見て学び(学びの語源は真似です)ながら、担任の先生主導の活動をこなすことができていました。 さて、そんな小学校では2018年度から、中学校では2019年度から「特別の教科【道徳】」の全面実施が始まりました。今までは、「道徳の時間」と呼ばれていたものが、正式な教科になったわけです。 と、言うことは‥検定教科書が使われ、「評価」されるということにもなります。【道徳】に評価の基準があるのか⁉︎価値観の押し付けにならないのか⁉︎様々な疑問が湧いてきませんか??? 苫野一徳さん(熊本大学教育学部准教授 哲学者 教育者)が書かれた「ほんとうの道徳」を読み進めて【道徳】とは!?に迫っていきたいと思います。 【道徳】って何なのか?もちろん幼児教育の中でも、「乳幼児期に育てたい10の姿」の中にも【道徳】が含まれています。【道徳】が何なのかわからず、「道徳心を持ちなさい‼︎」と子どもたちに声をかける訳にはいきません。 そんなことを考えながら、今日は交流会の帰りに、トミホ(富岡保育園)からは遠い公園(通称タコ公園)に歩いて寄りました。トミホ(富岡保育園)には園庭に滑り台やブランコなどの遊具はありませんが、タコ公園には沢山の遊具があります。子どもたちは、その場で自分たちでルールを作っては変えて遊ぶ姿が見られました。途中転んでしまった子どもも友達に救出してもらったようです。 |
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2019-09-20 |
こんばんは。外国に行ったことがないにもかかわらず外国に憧れている村上です。園のある市内(笠岡市)に在住の韓国人の方とお喋りする機会がありまして、トミホ(富岡保育園)へ遊びに来て頂けるようお願いしました。グローバル社会とは、何も英語を話せれば良い訳ではなく、英語圏以外の国の方と混ざり合う社会であることです。 さて、午前中は消防署見学へ子どもたちと参加してきました。今年度は虹(3.4.5歳児)グループ対象で、60名ほどの人数を4回に分けて実施することになりました。少人数での見学ですので、普段見られないであろう、消防士の方が使われる仮眠室やお風呂場なども見せて頂き、より消防士の方の生態がリアルに感じられたのではないかと思います。もちろん救急車や各種の消防車などを事細かく間近で体験することができ、参加した子どもや職員も、普段見せないリアクションをとっていました。 そんな姿を、保護者の方に伝える手段として、“可視化されたドキュメンテーション”を方法の1つとしています。なるべく早くその日のうちに「体験」を可視化することで、子どもにとっても大人にとっても「体験」が「経験」となり「学び」になります。言葉だけでは伝わらないことを玄関口の壁新聞で扱う写真などを通して伝えることにより保育実践について保護者の方にも理解と評価をして頂けるよう努めております。その日あった出来事を通して、親子での会話が弾めば嬉しいです。 |
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2019-09-19 |
103歳の敬老の方にエネルギーを頂きました33歳の村上です。「104歳になるまでにまたおいでよ」と仰って下さいました。 その場面があったのも、今日は、園よりタクシーで15分程の場所にあります高齢者の施設での敬老会に参加させて頂いたからです。 子どもたちを見るなり「可愛い~‼︎」と言って下さり、子どもたちも喜び、敬老の方と歌を歌ったり握手をしたり戯れる様子がありました。 現在日本の100歳以上の方は7万1238人です。(2019年9月15日時点)ちなみに、1963年の頃は153人でした。(56年で465倍以上の増加傾向です。) 日本社会において“少子高齢化”は避けては通れない道だと思います。 そんな時代にあって、高齢者と乳幼児の関わりは『少子高齢化時代の鍵』になると考えます。乳幼児期より、車椅子などを扱う方たちを含めマイノリティー(社会的少数派)の人たちとの関わりを持つことで、自分との“違い”がある人が世の中にはたくさんいて当たり前である認識を持てること。これは、間違いなくグローバル社会へのフィットにも繋がります、現代に蔓延る「いじめ」や「不登校」などの問題の解決の糸口にもなるはずです。 トミホ(富岡保育園)では、今後いっそう、年齢や性別や職域など、社会的境界線を取り払い、色々な人や価値観に触れる“暮らし”ができるよう仕掛けを考えていきたいと思います。是非このブログを見て下さっている方もご協力宜しくお願いします。 |
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2019-09-18 |
占い好きの村上です。ちなみに動物占いでは「楽天的な虎」でした。相性の良い動物の方は仲良くなりましょう。 さて、昨日見学に行かせて頂いた、デモクラティックスクール『まっくろくろすけ』の創設者である黒田さんから、僕を含む保育者や保護者の方へ、子育てのヒントとなる言葉を頂きましたのでご紹介させて下さい。 『まっくろくろすけ』に通う子どもたちに親子や先生たちとの間でのストレスはあるかと尋ねると、たいてい‥「“将来”どうするの?“今”のままでは“将来”が不安だわ」と聞かされる時だと教えてくれます。絵に少し興味を持って描いてみただけなのに‥「絵が好きなのね。将来はイラストレーターになるの?」と言われたり、何でもする事なす事、全て“将来”に繋げられてストレスだと。子どもたちが、親や保育者、教育者に求めていることは“将来”のことではなく、“今”を応援してくれること。子どもが1人の人としての人格を認められた上で、何でも意見を言えるような環境を作って欲しい。 と、黒田さんは静かな口調でありますが熱くお伝え下さいました。確かに、「“将来”のために」「“将来”の夢のために」頑張ることが美徳である考えも一理あるかと思います。しかし、“今”を犠牲にすることを子どもたちは望んでいないのではないでしょうか? どうなるかわからない“将来”を案ずることは、どうなるかわからない“占い”の結果に案じてしまうことと同じかもしれません。そんな“将来”よりも、子どもたちが応援して欲しいと願っているのは“今”なのではないでしょうか? お昼ご飯時に2人の子どもが、せっせとフウセンカズラを取って、鍋に入れて遊んでいました。この2人は“将来”のためにフウセンカズラを取って遊んでいるのでしょうか⁉︎近くに保育者がいたのですが、もしかすると本当は「お昼ご飯早く食べようよ」と思っていたのかもしれませんが、2人が遊び終わるまで遠くから見守っていました。2人の“今”を応援していたんだと思います。 |
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2019-09-17 |
会議で自分の意見を言う時に緊張してしまう村上です。学生の頃は、「早く終わらないかな~」と、自分の意見など考えることもしていませんでした。 さて今日は、友人(岡山県にオルタナティブスクールを作ろうと画策中)と一緒に、兵庫県神崎郡市川町にあるデモクラティック(民主主義)スクールの『まっくろくろすけ』にお邪魔してきました。 4歳~19歳程度の人たちが学び合う場(今日は7歳~16歳の人たちが20名程度でした)でありました。チャイムや時間割などは無く限りなく自由が保障された空間でした。 しかし、集団の中で自由が保障されるためには、メンバーたちで決められたルールがたくさん存在します。デモクラティックスクールとしてのルールとしては、必ず話し合いで決めることがあり、大人も関係なく、現在の『まっくろくろすけ』にいるメンバー全員に発言権があり、1日のうちに大なり小なりのミーティングが何度か設けられます。自分たちで議題を出して、それに対して自分の意見を言う様は、僕自身衝撃的でもあり、大人顔負けの生産的意見の交換でした。 大人や子ども、年齢や性別などの区別なく、誰もが自分の意見を言ったり、通す、権利があり、それでいて、他者の意見をも聞き、通すことのできる関係性が存在するからこそ、最大限の自由が保障されている空間でもありました。 個人的には、1つの国を皆で治めていく姿に近い印象を受けました。既存の学校と比べると社会との距離がグッと近いころにあると感じられました。以前紹介した世界7大教育の1つに挙げられています、“サドベリー教育”でもあります。 ※サドベリー教育の詳細については後日紹介させて頂きます。 幼児教育に携わる1人として、「自由を最大限に保障するため」のヒントが、何度かメンバー達で行われていた“ミーティング”の中にたくさんあった様に感じました。 |
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2019-09-16 |
毎日やりたいことを好きなようにさせて頂いているお陰であまり“休日”という概念がない村上です。皆さま充実した連休をお過ごしでしょうか⁉︎僕は今年度より園内に新設されましたラボ(研究所)をお洒落にする為に古道具屋を巡っております。 ※ラボ(研究所)にも是非遊びに来て下さい。 ちなみに、“休日”という概念は日本では江戸時代までは無く、明治時代以降の資本主義社会への足がかりとして存在したようです。人類の歴史から見ても、狩猟民族だった頃の先人には“休日”という概念は無かったであろうし、農耕民族となった頃も、決められた“休日”ではなく、自分で決めて“休日”を作っていたんだと思います。産業革命後、工業社会へ進む際に労働者の権利や効率化などを含めて、決められた“休日”が作られたのではないのだろうかと予想します。「働き方改革」が謳われている現在、人類の歴史から何か良いヒントがないか学ぶ必要があるなと考えております。 「働き方改革」をトミホ(富岡保育園)でもアップデードできるよう新たな仕掛けを考えてみました。今年度より、全職員を対象に「自分の家族や友人を園に招待する」ことをミッションの1つとしています。家族や友人から見ても『安心して働ける仕事場』でありたいという想いからです。 |
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2019-09-15 |
さきほど銭湯で祖父の背中を流しました村上です。敬老の日(今年は9月16日でしょうか)が近くなり、新幹線でひとっ飛びして元気な姿をアピールしてまいりました。 「見守る」保育をトミホ(富岡保育園)では実践しているのですが、よくこんな質問があります。 「“見守る”って、ただほっといているだけなのでは?」 「見守るって、どのように“見守る”のですか?」 そのような時には、たいてい‥ 「どのように“見て”どのように“守る”か、日々試行錯誤しながら保育(暮らし)をすることです」 と、答えます。 僕の祖父は80を過ぎており足が少し不自由でもあります。しかしプライドは高く、自分で出来ることをされることを嫌います。 そんな祖父との銭湯の時間は、祖父に気付かれぬ様、行動や言動を“見ながら”、杖をつきながら歩く足が滑らないか安全を“守りながら”、『やってほしいサイン』が出たら、手助けをしながら「いい湯だな~」と気持ち良さに共感して入る時間なのです。 これって、トミホ(富岡保育園)での保育(暮らし)と似てる⁉︎と、思っちゃいました。子ども、大人、年齢関係なく、人と人との関わりにおいて、「見守る」は重要であり当たり前にあることなのだと思いました。 そして、「見守る」は一朝一夕に出来ることでなく、一緒に暮らしていく中で、相手への尊敬と感謝の気持ちが持てた上で、『やってほしいサイン』に気づけるか⁉︎なのかもしれません。 |
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2019-09-14 |
おはようございます。読書の秋を早朝から楽しんでいます村上です。今日は職員が私服DAYということで、どんな服装で出勤して来るのか楽しみにしています。(保育士のトレードマーク⁉︎エプロンとジャージをNGにしました。) さて、昨日紹介させて頂きました『ヒトは「いじめ」をやめられない」脳科学者 中野信子さん著書の本について。とても頷ける内容が目白押しであり、すぐに実践に移していかなければとの強い責務も感じました。 あえて、誤解を恐れず述べていきますと、そもそも「いじめ」は人類が進化し生き残っていくために必要不可欠な本能であること。そして特に真面目で狭い人間関係の集団になればなるほど起こりやすい事実があること。 では、「いじめ」を防止・抑止する手立てがあるのか⁉︎それは、本能してあることを前提として考慮し、大人も子どもも正しく適切な知識を身につけコントロールすることが最善策ではないかと。 人間関係の流動性を高め、様々な人に接して刺激を受ける体験を作ること。そして幼児教育を含む、僕たち教育機関が直ぐに実践にうつさなければならないのは、時代のニーズに合わせ、みんな“違う”、それぞれが“違う”という均一性を下げた教育マインドだということ。 そのためには、「義務教育」や「学級」、「クラス」、「会社」などの均一性の高い、統率のとれた団結心の強い集団組織を再考していく必要があると思いませんか? 現代の幼児教育を含む教育の在り方に議題を投げかけるようなブログになりましたが、今を生きる大人が真剣に考え取り組み必要がありますし、僕自身も早速実践にとりかかっていきたいと思います。 もちろん、この本で述べられている脳科学的な適切な知識(オキシトシンやセロトニンの作用や、メタ認知の知見も含め)に基づいていきたいと思います。 |
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2019-09-13 |
お月見大好き村上です。明日は今年の“中秋の名月”だそうで、縁側でお酒に満月を照らしながら「月が綺麗ですね」と一杯交わしたいところです。(保育園では明日のおやつはお月見だんごです) さて、今日は私事で病院へ寄っていたのですが、そこでの看護師の方の所作がとても素敵でしたので是非ご紹介を。 本を読みながら(『ヒトは「いじめ」をやめられない』脳科学者 中野信子 内容は明日の早朝ブログにあげますので乞うご期待下さい)待ち合いで待っていると、看護師の方が出てきて、診察室へ誘導して下さいました。 普段どおりの仕事風景の様に感じますが、ドアを【両手を添えて】【音をたてずに】開け閉めされている姿がとても素敵に感じられ、危うく「月が綺麗ですね」と言ってしまいそうになりました。というのは少し冗談ですが。 僕自身、普段の所作はどうしているだろうか⁉︎忙しいという感情を覚えてしまった時に、バタバタとしていないだろうか⁉︎「人のふり見て我がふり直せ」という諺がありますが、この看護師の方のように、素敵な所作が出来ているだろうか⁉︎ “たった”両手を添える“だけ” “たった”音を立てない“だけ ” “たった”の“だけ”のことが特別なことをするまでもなく対人関係を築く上で重要なことなのだと改めて学ばせて頂きました。 |
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2019-09-12 |
新しい本屋さんに行くとワクワクとドキドキが止まらない村上です。 今日は夏に出会った強烈なインパクトを受けた至極の絵本を一冊紹介させて頂きます。 「セミ」というタイトルの、作家がショーン・タンさんの表紙に異常なまでに惹きつけられる絵本です。「セミ」というタイトルとは予想もし得なかった物語が繰り広げられ、見終わると、ただただ唖然と呆然とする時間が流れました。 (内容と感想につきましては見てからのお楽しみにさせて下さい) 本(絵本を含む)は、書き手の意図とは裏腹に、読み手に伝わる可能性も含みます。しかし、それが余計と本の価値と可能性を感じさせるのでしょうか。流れゆく時間の中で、普段考えないことを「考えさせられる」時に、ふと我に返り足を止めることができます。 子どもに本を読んでほしいと願うなら⁉︎まずは大人が読む姿を見せることが何よりも大切だそうです。子どもに見せたい‼︎読ませたい‼︎本を選ぶ前に、大人自身が読みたい‼︎と思う本を選ぶ必要があるのかもしれません。 ※僕の最近お気に入りの本屋は岡山県岡山市にあります「スロウな本屋」という古民家をリノベーションした素敵な空間の本屋さんです。絵本はもちろん、様々な「考えさせられる」本がズラリと並んでいます。 |
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2019-09-11 |
夕方、園庭管理部に依頼されて園庭の水やりを楽しませて頂きました村上です。トミホ(富岡保育園)では、今年度より保育士や調理師、栄養士などの資格にとらわれず、職員全体で部活動制を取り入れています。各々で得意な分野や興味がある分野などに主体的に取り組み、また各部のリーダーとして園全体に働きかけて頂いています。ですから年齢や経験年数など関係なく全職員がリーダーシップを発揮できます。 芝生や木々に水やりをしていると、2人の女の子が何やら険しい表情を浮かべながら築山あたりを探索しています。会話が聞こえてきたので少し盗み聞きを。 (カマちゃんとはカマキリのことみたいです) A「さっき、〇〇君が、カマちゃん叩いたから血が出そうになったんよ」 B「そうなん。カマちゃんかわいそうじゃな」 A「あと、カマちゃん子どもで、ひとりぼっちでかわいそうなんよ」 B「カマちゃん、子どもなん⁉︎だったら、お父さんとお母さん探してあげようや」 A「そうしてあげよ。かわいそうじゃもんな。村上先生‼︎カマキリのお父さんとお母さん、どこにおる!?!?」 (離れてるところから盗み聞きしていただけなのに、急に会話に参加が許されてビックリしました。) 2人の会話を聞いていると、人間も虫も同じ命を授かって生きていることを改めて学ばせて頂きました。そして、何より、2人の女の子は、自分の想像するストーリーと、相手が想像するストーリーを、尊重し合いながら、一緒にストーリーを育んでいくところに感動しました。 大人社会でもよくある場面ではないでしょうか⁉︎互いの意見の“違い”に対し、拒絶してしまうのか⁉︎それとも、尊重し合うのか⁉︎ この女の子2人は、互いのストーリーを尊重し合うことで、新しいストーリーを創造することができました。 よく、僕たち保育者は、子どもの育ちについて、何がどのように育っているのだろうかと評価することが求められているのですが‥ 実は‥ 子ども同士の姿は、僕たち大人が忘れてしまった(失ってしまった)大事なことに気付かされる、学ばせてくれる、思い出させてくれる、有り難い存在なんだと。 |
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2019-09-10 |
とみほ新聞(富岡保育園の新聞)配達員の村上です。午前中、近隣の住民のお家へ配布しにお邪魔させて頂きました。実は、昨日の地区の敬老会でも敬老の方はもちろん役員の方にも配布させて頂きました。なぜ⁉︎保護者に限らず、地域の方たちにも配布するのか⁉︎もちろん、地域の方たちとの交流を深めたいというねらいがあります。そして、現在、トミホ“(富岡保育園)で行われている保育リノベーション(子ども主体とした保育に転換した保育)について、理解をして頂きたい、また興味を持って頂きたいという思いからでもあります。 すると、さっそく昨日の地区の敬老会の主催者が園へ訪れて下さり感謝の意を述べられました。 「先生、昨日はありがとうな。本当に、今までの敬老会で1番楽しかったわ。子どもたちの踊りも最高じゃったな。また、並んで出て来ずに、あのバラバラな感じが、可愛いし、楽しそうに踊っていて良かったが。それに先生たちも、必要以上に何も言わないようにしとんじゃな。あの新聞読んで、よく分かったわ。ありがとうな。」 この主催者は、70台後半でもありますが、新聞の内容には、新しい保育観を脳科学の研究結果などを用いて説明したりなどもしましたが、とても好意的に理解を示して下さり、それでいて温かい目で見守って下さっていることに感謝です。 そして、もう1つ。例年だと、敬老会に向けて並ぶ練習から踊りや言葉の練習もしていましたが、今年は全く練習などをせずに、敬老会の趣旨だけを伝えて参加しました。子どもたちは、初めての場所でも、温かい目で見守って下さる大人に囲まれると、緊張感を感じさせることなく、思い思いにリズムに乗せて体いっぱい表現していました。そして、会場から割れんばかりの拍手をもらい満足感や達成感にも浸っておりました。 僕の個人的見解ですが、練習を行い完璧を求めることで、人前では完璧な表現をしなければならないという概念が埋め込まれます。すると、どうなるでしょうか⁉︎完璧な表現が出来るか出来ないか不安に思ってしまうと、何事にもチャレンジするハードルが高くなってしまいます。 そして、加えて、僕たち保育者が、会場で練習通りの完璧な表現を求めてしまうと、会場の主催者たちは、どうなるでしょうか⁉︎完璧な表現も求めてしまいますし、保育者に気を遣って完璧な表現ができるよう配慮を徹底して下さるかもしれません。 行事の目的が、完璧な表現をするために一生懸命練習することなのか⁉︎それとも、敬老の方たちと触れ合い、そして尊敬や感謝の気持ちを伝えることなのか⁉︎ 行事を行う時は、必ず『目的』を明確にすることと、その『目的』を職員全体に周知し把握することに徹底しています。 なにより、保育の方法の変化について、子どもの姿と保育者の姿とを見て気付いて下さり、そして新聞を読んで下さり理解を示して下さったことに感謝するとともに。若いから、◯◯歳だから、ではなく、『知らないことを知る勇気』を感謝の意と共に伝えて下さった主催者を心より尊敬しますし見習いたいと思います。 |
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2019-09-09 |
園の地区である笠岡市富岡地区敬老会にエジソン(5歳児クラス)の子どもたちと参加してきました村上です。 77歳からが敬老者となり、市の議員の方たちからのメッセージなども含めてお祝いの場が開催されました。子どもたちも、特別練習した出し物ではなく、普段親しんでいる手遊びやパプリカなどのダンスを披露してお祝いの場に華を咲かせる役目を果たしました。 僕の隣で観覧していた敬老の方から「子どもって見るだけで可愛いわ。のびのびしていているし、しっかりしているね」との有り難い言葉を頂きました。“子どもの味方”な“子どもの見方”をして下さった敬老の方から、地域に「大きな受け皿」を持った方々がたくさんおられることを改めて感じ感謝しなければと感じました。 また、その後は、地域の方たちのカラオケや、大正琴、総踊りなどの出し物が次々と繰り広げられました。90歳を超えられた方の力強い歌声には驚きました。地域を今まで築き守ってきて下さった方々の“エネルギー”。そんな“エネルギー”を持った人材育成の責任を感じるとともに、僕自身も敬老の方たちに励まされる『エネルギー溢れる時間』でした。 |
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2019-09-08 |
こんばんは。学生時代あれほど嫌いだった勉強が最近最も楽しい遊びになっている村上です。 今日は京都大学大学院総合人間学部の田中真介先生の「乳幼児期の発達の魅力をとらえた保育・子育て(乳児期後半6〜12ヶ月)」~子どもたちの「言葉にならない言葉」を受け止める~を受講してまいりました。 せっかくなので「能動ネコと受動ネコの視覚的断崖装置実験」にまつわる研究結果を紹介してみます。実験までの期間“自らの足で動く”能動ネコと、“箱に入れられて足を動かさずに移動する”受動ネコとを、断崖まで行くか行かないかの実験を行いました。結果は、能動ネコは断崖を知覚し行かずに、受動ネコは断崖を知覚できずに行ってしまったのです。これは、奥行きを知覚する上で、「自発的な運動」と「視覚的なフィードバック(自分の動きと世界の変化を繋ぐ」ことの重要性の証明でもあります。 赤ちゃんは、“自ら動いて自らの世界を変化させます”。もし、歩こうとしているにもかかわらず、ハイハイしようとしいるにもかかわらず、自ら動こうとしているにもかかわらず、大人が不必要な介入をしてしまったら⁉︎赤ちゃんが自らの世界を変化させることができるでしょうか⁉︎ ※ちなみに、ハイハイをする上で、赤ちゃんは大好きな存在に向かって、段差があっても粘り強く進むことで、二足歩行へと段階を踏んでいきます。歩く練習をさせれば良いのではなく、まず大好きな存在が必要なのだということ。そして段差などの発達的抵抗も必要なのだということ。 赤ちゃんが何も出来ない存在だという認識を改める必要があります。そして赤ちゃんの行動や言動には、人類の進化や存続への深い意味が含まれているように思います。そして何より、田中先生のように、まずは乳幼児の1つ1つの発達を“おもしろがる”ことが子育てを楽しむ上で1番大切なことなのではないでしょうか。 余談ですが、僕も能動ネコや、歩き始める赤ちゃんのように、“自ら動いて自らの世界を変化させる”生き方をしていきたいと思います。 |
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2019-09-07 |
おはようございます。今年度より新設されましたラボ(laboratory 研究室)にて朝活をしています村上です。毎日早朝の職員が僕の机に花を生けて下さり、素敵な空間を演出して下さることに感謝しています。 さて、昨日の遠藤先生(東京大学大学院教授 発達保育実践政策学センター長)の「乳幼児期におけるアタッチメントと非認知的な心の発達」の講義について、少しだけ振り返りたいと思います。 まずは「アタッチメント」とは何なのか⁉︎「非認知」とは何なのか⁉︎を理解していないと大きな誤解を招くので簡単な説明をしておきます。 「アタッチメント」とは、くっついて安全感・安心感に浸ろうとすること。(何らかの危急時あるいは危機が予期された時に生じる恐れや不安等のネガティヴな情動を、特定他者への近接性の確保を通して制御・調整しようとする行為) 「非認知」とは、心の土台。(自己と社会性の力) まずは、ここを押さえて頂いた上で、世界のあらゆる研究を通して、乳幼児期に適切な教育を受けると、幸せな大人(心身が健全な人間)になる確率が高くなると証明されていること。 では、乳幼児教育とは⁉︎何か特別なことをすることなのでしょうか⁉︎(早期から知育教材や英語教育をすること⁉︎) 人間には認知能力(読み書き、そろばん等の点数化できる力)と、非認知能力(点数化できない心の土台)が司られていますが、非認知能力なくして、認知能力は育まれないこと。心の土台があるからこそ健全な人間へと育まれること。それが、欧米諸国の研究にて明らかになっています。 そして『心の土台』の中にある、“自己”に関わる心を育むためには⁉︎(自己には、自尊心、自己肯定感、自制心、グリット、自立心、自律性が含まれます)他者から無条件に愛されていると認識すること。それは何か出来るようになった時ではなく、「オギャー」と泣いた時に、いつだって受け入れてもらえることで、自分の価値を見出すんですね。 そして“社会性”に関わる心を育むためには⁉︎(社会性には、心の理解能力、共感性、思いやり、協調性、道徳性、規範意識などが含まれます)人って信じていいんだよなと思えること。良識ある大人が一貫して温かい感情で接することで育まれます。 では、“自己”と“社会性”の力である『心の土台』(非認知)を育むために、「いつだって愛されている」「人って信じていいんだよな」と思えるようになるためには⁉︎『アタッチメント』(くっついて安心感に浸ろうすること)が最も鍵を握る‼︎と、遠藤先生は述べられていました。 そして、誤解のないように、『アタッチメント』は、いつ誰かれ構わずという意味ではなく、重要なのは“いざとなったら”くっつける。そして1人ではなく何人かの他者がネガティヴな情動の時に安心感を与えることで、スキンシップと混在しないよう注意して下さい。 “いざとなったら”自分のことを見捨てず受け入れてくれ、そして肩を押すように応援してくれる存在。 そして、「いつだって愛されている」「人って信じてもいいんだな」と子どもたちが思えるようになるためには⁉︎何か特別なことをする必要があるのでしょうか⁉︎ 寂しい時に、「寂しかったね。でも私がいるから大丈夫よ。」怖い時に、「怖かったね。でも私がいるから大丈夫よ。」痛い時に、「痛かったね。でも私がいるから大丈夫よ。」と、当たり前の繰り返しで『心の土台』(非認知)は育まれていきます。 幼児教育とは⁉︎『心の土台』のための教育であり、それを担う保育者の専門性は何か特別なことをさせることではなく、『当たり前』のことの中の意味を理解し、どんな時もブレずに、無条件の愛をもって応援することなのです。 |
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2019-09-07 |
学生時代に電車通学に憧れながら必死に自転車を漕いでいた村上です。ただいま電車に乗って、東京大学大学院の遠藤利彦教授が講演する「乳幼児期におけるアタッチメントと非認知的な心の発達」を学びに行っております。 ※詳細は後ほど報告します。 さて、トミホ(富岡保育園)から出かける前に、3つの“ため”エピソードがありました。 水着に着替えている最中に僕の姿が見えたのでしょうか。急いで駆け寄ってきた女の子。 「先生、お弁当したげる」 最初、僕はお昼ご飯を、子どもたちに弁当箱によそってもらっているのですが、この女の子は毎日僕の“ため”に気遣って声をかけてくれます。今日はお昼に出かける用事があることを毎日の感謝の気持ちと一緒に伝えると、少し残念そうでしたが‥ 「また明日してあげるな」 と、快く言ってくれました。 そして、書類を提出に事務所へ行く際中、ひかり(2歳児グループ)で、1人の男の子が泣いている場面に遭遇しました。周りには5人ほどの子どもたちが囲んでいます。ついつい「誰か泣かせちゃったのかな⁉︎」と、つぶやいていると‥ そこへ居た職員が「よく見て。可愛いいのよ。周りの子どもたち、泣いている男の子の“ため”に慰めようと、囲んで変顔しているのよ」 場面を切り取ってしまうと本来の子どもたちの姿を見失ってしまう。前後の背景をよく見守ることを常に『子どもの味方』の視点で『子どもの見方』をされる職員から学びせて頂きました。 そして、出張へ行く準備が整い、玄関口を出ようとすると、1人の女の子が「先生!アトリエ行こう」と誘ってくれました。 この女の子は、昨日一緒にアトリエで遊び、自分が汚していないのにも関わらず最後まで片付けとお掃除を手伝ってくれた子どもです。 「先生!大変そうだから手伝ってあげる」 芸術が爆発されたアトリエ(床や畳が鮮やかに)を、せっせと拭いていると、僕の“ため”に声をかけてくれたのです。 僕がよく現場で保育をしていた頃「自分の遊んだ玩具は自分で片付けなさい」と指導していました。しかし、その言葉を裏返すと「自分の遊んだ玩具だけを片付ければ良い。自分の遊んでいない玩具は片付けなくて良い」という意味になります。そのような言葉を習慣的にかけられてしまったら⁉︎ 本来、片付けや掃除は、「綺麗にすること」が目的です。汚れてしまった空間を綺麗にする大人の姿を見せることがまずは大切でもありますし、自分が汚していないのにも関わらず自ら手伝ってくれた女の子に僕も見習わなければと。 3つの“ため”。どれも見返りを求めない他者への愛に包まれていたエピソードでした。 |
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2019-09-06 |
帰り道に雷の稲妻を見た村上です。皆さま1日お疲れ様です。 今日は午後より今年度新設されました“アトリエ”で市長来訪のブログを書いておりました。 日本では2020年より小学校でプログラミング授業が必修化されます。算数や理科の授業で、物事の手順に対する思考や論理的思考力を育成する学習を行う時間が設けられます。これは、世界でいうSTEM教育の一環でもあります。STEMとは、Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(ものづくり)、Mathematics(数学)の4つの単語の頭文字を組み合わせた造語です。そして現在、Art(芸術)を真ん中に加えたSTEAM教育が世界では取り組まれています。なぜ、Art(芸術)を真ん中に加えたのか⁉︎正解のない芸術的思考を思考の真ん中にすることで、科学や技術、ものづくりや数学に、柔軟性をもった新たな価値観を創造することができるからです。 そんなArt(芸術)をトミホ(富岡保育園)でも、子どもが主体的に取り組めるよう環境を整えております。決して、大人にさせられることのないよう試行錯誤していきたいと思います。 なにはともあれ、「芸術は爆発だ‼︎」と言わんばかりに没頭し、失敗をもろともせず仲間と笑い合うその姿に、たくましさを感じてやみませんでした。 |
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2019-09-05 |
さきほど、笠岡市の市長、こども部部長など、市の子育てに携わる方々とディペードを楽しみました村上です。園内を見学して頂きながら、トミホ(富岡保育園)での保育(丁寧な暮らし)を体感して頂きながら「保育リノベーション」についてお話ししました。子どもたちとも絵本を読んだり、水遊びをしたり、沢山関わって頂き感謝しております。
“地産地活”というキーワードを用いながら、笠岡市で生まれ、育ち、世界へ羽ばたき、そして笠岡市に貢献してくれる人材を育成するためには⁉︎『当事者意識』を乳幼児期から育む必要があるのではないでしょうか。その為には「自ら考え判断し行動する」習慣を身につけなくてはいけないのでは。そんな話をさせて頂く中で、市長、こども部の方とも共感し合うことができ嬉しく思いました。 「自ら考え判断し行動する」習慣を身につけるために。乳幼児期を含め、学童期、青年期など、世界では従来の一斉教育以外の教育法がスタンダードになりつつあります。世界7大教育(詳細はまた取り上げさせて頂きますのでお楽しみに)が、もし笠岡市で子どもが選択できるとしたら⁉︎こんな幸せな町は日本ではないのではないでしょうか⁉︎ |
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2019-09-05 |
こんばんは。コオロギが鳴きはじめたかと思うと、セミがまた鳴き出す今日この頃を楽しんでいます村上です。 暑さが復活したことにより、園庭では水遊びで賑わう声が。トミホ(富岡保育園)では、「水遊びは夏だけ」という固定概念を見直し、年中取り組める様に環境を設定しています。水はどんな玩具にも勝りますよね。 さて、夕方に「お父さんごっこ」をする男の子2人がいたのですが、会話の内容を聞いていると、家事や園の送迎などもこなすイクメン感が漂うお父さんになって遊びを展開しておりました。 時代の変化とともに、ごっこ遊びの内容も変化しているのが如実に分かる遊びのシーンでした。空想(ファンタジー)の世界と現実の世界との間にあるような“ごっこ遊び”。特に、ままごとは身近な存在(家族や保育者など)の姿が、子どもの目にはどのように写っているのかが分かる遊びではないでしょうか? |
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2019-09-04 |