富岡保育園へようこそ!「伸びる。成る。子どもも大人も互いに伸び合い、成長し合う『大きな家』でありたいと願い、社会福祉を支えています。

富岡保育園

副園長ブログ

ボッセとラッセのお母さん

「ラッセのママ、おはよう。ねぇ、ジャンケンしよ。」

「おはよう、ボッセくん。いいよ〜。ジャンケン、ポン!」

とみほ村のなかでも、一二をあらそうほどにあいさつを得意とするボッセ。これでも、ほんの一二年まえくらいには、なかなか言葉が出ずにおうちの人に心配されていたんです。なのですが、今ではあいさつはもちろん、言葉をたくみに使って、友だちや保育園の先生、そして友だちのお母さんやお父さんに、たくさん話しかけているんです。

ボッセにとって、ラッセのお母さんは“朝に会ったらジャンケンをしてくれる人”のようで、ラッセのお母さんもそれをこころよく受け入れてくれているんです。


とみほ村には、ボッセとラッセのお母さんのような関係はたくさんあるんです。そのたくさんをお話しする前に‥のような関係って、どんな関係なの?って思った人のために、すこしだけ説明をすると‥

ボッセとラッセのお母さんは、親戚でもないですし、ただたんに、とみほ村で知り合っただけの関係なんです。だけの関係なんだけど、ラッセのお母さんはラッセと同じようにボッセにもジャンケンをしてくれるんです。ラッセのお母さんは『自分の子どもだけでなくて、とみほ村にいる子どもみんなを自分の子どものように大切にしてくれる』そんな人なんです。なので、そんな人がたくさんいるから、とみほ村はいつもにぎやかで、しあわせなんだと思うんです。


朝、ジャンケンをしてくれるラッセのお母さん。夕方、いっしょに鬼ごっこをしてくれる〇〇のお父さん。絵本を読んでくれる〇〇のお母さん。抱っこやおんぶをしてくれる〇〇のお父さん。泥だんごをほめてくれる〇〇のお母さん。自分のお母さんやお父さんだけじゃなくて、たくさんのいろいろなお母さんやお父さんに大切にされる、とみほ村の子どもたちは、やっぱり、しあわせなんだろうなと思うんです。


※“お母さん・お父さん”と記しましたが、実際には、おばあちゃんやおじいちゃん、またご近所の方々、また地域内外からの、たくさんの方々に大切にされている、とみほ村の子どもたちです。本当にいつもありがとうございます。

※“ボッセ・ラッセ”は、仮称です。もしかすると、ピンと来た方もおられるのでは‥児童文学書「やかまし村はいつもにぎやか」の登場人物名を拝借させていただきました。

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2022-10-16
亀ちゃん&平ちゃんパート②

10月第3土・日曜日、つまり今日・明日は、富岡地区の秋の例大祭なんです。各種の神事が行われた後に、御神体を乗せたお船が御神幸(神がお出かけになること)に出発しお旅所をめぐり祈願をするんです。 


通例なら、各地区の当番家にお旅所をお願いするのですが、富岡北地区の場合は、当番家制度が廃止になったこともあり、この度、富岡保育園がお旅所となることになりました。当園内で、地域の安全・豊作などを祈願することとなります。 


富岡保育園(お旅所)に御神幸がまわってくるのは、明日の1430~15時頃です。お初穂をお供えいただく方については、御神楽(神を迎えその御魂を体内に祝いこめる神事)により、祈願を行い「オフダ」を差し上げることになっています。 


(徳民於賀神社総代会の方からのチラシをもとにしたお知らせです。) 


「お祭り」って聞くだけで、ソワソワしたり、ムラムラ⁉︎は違うかもしれませんが、落ち着かないような、楽しみなようで、おめでたいような、そんな気持ちになりませんか⁉︎日本人のDNAに刷り込まれてんじゃないかと思うんですがね。

今日も早朝から、ご近所の方々は、道沿いの家々に、縄を張り巡らせて、白い紙(「紙垂」しで)を貼り、神聖である印をつける作業に取り組んでおられました。

また、あるご近所の方は、お祝い事として赤飯を炊かれて、お裾分けを下さったりもしました。 

そして、あるご近所の方は、数十年前のお祭りに関する思い出話を聞かせて下さり‥

「むかしは、楽しいことと言えば、お祭りくらいしかなかったけん、そりゃあ、みんな無礼講で無茶をしょーたよ。わしも、お化粧して、お神輿かついでなー。飲めんお酒も調子に乗って飲んだし。」 

「でも、そーゆーことをしながら、地域のみんなで集まったり、団結できたりしとったんじゃと思うんで。今ごろはなかなか、わけーもん(若者)も、他に楽しみがあるけんか、忙しいけんか、地域のもん(人)で集まるのを嫌がるじゃろう。」 


正直に言えば、個人的には生まれ育った地元も、富岡北地区のお祭りについても、積極的に関わるタチじゃありませんでした。でしたが、地域の繋がりと言いましょうか、存続と言いましょうか、祈る想いのようなものが込められていることを、肌で感じるようになっているのも確かであります。 

ひとまず、明日のお旅所のつとめをきちんと果たせるように心を込めて準備したいと思います。 


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お旅所の準備
おめでたいよね
2022-10-15
科学的根拠だけではない世界

“科学的根拠”って言葉をブログ内でもよく使うのですが、ただ“科学的根拠”だけでは説明がつかないこともあるんじゃないかとも思っています。

毎月通っている癌の再発検査のこと‥詳しい血液検査であったり諸々の科学的根拠のありそうな数値が出てくるものなのですが‥正直なところ、そのナンヤカンヤの数値よりも、主治医の先生と顔を合わせて「大丈夫でしょう」と、告げられる瞬間が一番ホッとするんです。これが、もしもナンヤカンヤの数値と、追記で「大丈夫です」とメールなどで送信されるだけのものならば、安心できないんじゃないかとも思うんです。

似たような話しがあって‥富岡保育園の諸々の修理をお願いしているカサセイホームズの営業部長さんは、見積もりや計画書、領収書を必ず手渡しでお持ち下さるんです。デジタル機器にもお詳しいので、もちろんメールやなにやらで手軽に送信できるはずなのに、わざわざ必ず足を運んで下さるんです。そのたびに、僕などは修理に関係のない世間話なんかをするものですが‥その時間に培われる営業部長さんとの価値観の擦り合わせや信頼関係の構築が、まさしく修理などに関する計画に生きているんじゃないかと思うんですね。

もうひとつ似たような話しをすれば‥富岡保育園では、今年度たび重なる、とあるウイルスに影響を受けての休園などのお知らせを、保護者の方へ、一斉送信などのメールやスマホアプリではなく、ひとりひとりに電話させてもらいました。一斉送信ですれば、保護者の方へも素早くそして分かりやすい内容の文章で知らせることができるのでしょうが、あえて声と声のやりとりに価値を見出しました。すると、メールなどの文章では出せないであろう、互いを労い合うような会話であったりも、職員と保護者の境をこえて「助け合って生きていきましょう」との気持ちが通わせられたんじゃないかと思うんです。


本日は再発検査後に、事務長オススメ、倉敷市「阿智神社」に行って、手を合わせてきました。科学的根拠はまったくありませんが、なんだか心身が整ったような、大丈夫のような、そんな気持ちになりました。

※「阿智神社」は、階段が何段もあり登るだけで、多少息が乱れるものですが、そこで手を合わせて拝むことで、息が自然と整ってくることが実感できます。


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御神幸のお旅所の準備by亀ちゃん&平ちゃん
2022-10-14
王道と、もうひとつの王道⁉︎

「はい、〇〇組さんは、靴を脱いだら〇〇して、〇〇したら〇〇して‥」と、ある保育園の先生なんかが、列をなしている子どもの先頭でひとつずつ順をおって丁寧に説明をしている。そのそばから、ぞろぞろぞろぞろと不揃いではありますが、靴を脱いで体育館へあがっていく、もうひとつのある保育園の子どもたちがいる。もうひとつのある保育園の先生なんかは、子どもたちに少し遅れをとっているくらいについて行っている。



きょうは富岡保育園も所属する学区の小学校で「就学時健康診断」があったんですね。富岡保育園からも数名の子どもと、ひとりの現場保育者が参加しました。

冒頭のこんがらがっちゃうような説明文のなかでは、ブログ読者もお察しの通り、もうひとつのある保育園が富岡保育園なわけです。


誤解を招かないように、注釈をつけますと‥ある保育園と、もうひとつの保育園を比べて、どちらが良い保育園なのかを、ここで決めちゃいましょうよって話しじゃないんです。どちらの保育園も、それぞれの先生も、僕から見れば、それぞれの子どもに合った最適な保育実践をしていたんだと思います。

はじめての環境で、不安にならないために前もって、順序立てて、丁寧に説明するなんてのは、王道の保育実践かもしれませんよね。小学校の先生方も、健康診断へ向けての説明を、王道中の王道で説明されていました。

じゃあ、もうひとつの保育園、つまり富岡保育園の現場保育者は、王道ではなくて邪道なの!?ってなりそうですが、こちらも王道なんだと思うんです。

「はじめての環境で、どのように行動すれば良いのか、自分で考えられるだろう」「もしくは、困ったら、助けを求めるサインを出せるだろう」との考えから、子どもたちに振る舞いを委ねていたんだと思うんです。


困る、戸惑う、合わせて困惑することを、保育園の先生であれ学校の先生であれ、予測することはある程度できるんだと思うんです。そしてわざと困惑させるだなんてめっそうもないですよね。

なんだけれども、もしも困惑してもへっちゃらなくらいしなかやであったりしぶといであったりと、生きる力があれば良いとも思いませんか。

転んでも、へっちゃら。ひざをすりむいても、へっちゃら。靴が脱げちゃっても、へっちゃら。日々の『へっちゃらの積み重ね』なんていかがでしょうか。



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駐車場裏の畑で
おいも、あるかな
2022-10-13
『KATAMARI~塊~』

タイトルを見て、もしもすぐに「あ〜、あれね“かたまり”ね」って、うなずきながら、それでいて「よくぞ“かたまり”をブログに取り上げてくれた」って言えたものなら、それは間違いなく富岡保育園公認のファンだと言っても過言じゃないでしょうよ。それほど“かたまり”は、現在富岡保育園では空前絶後のブームと言いましょうか、なくてはならない「“かたまり”がないと生きていけない」シロモノになっているのかもしれません。

“かたまり”“かたまり”と連呼していても、実態がわかんないと思われますので、非常に詳しく説明していきます。

カップなどの器と、土があれば、その連呼する“かたまり”にたどり着けるのですが‥ただ“かたまり”を極めるには、飽くなき“かたまり”に対する情熱がなければ到達できないことも覚えておいてください。

まず、カップなどの器に、土を入れていくんです。入れていくのですが、単なる土、適当にその辺りの土を入れてしまっては“かたまり”にたどり着けないんです。“かたまり”に適した土を見つけて器に入れるんです。そして器いっぱいに入れ、ぎゅうぎゅうにしたところから“かたまり”への道が拓けてくるんです。さらさらの砂を何度も何度もかけては、手で表面をぺたぺた。何度も何度もかけては、手でぺたぺたを繰り返すんです。ご想像の通り、何度も何度もかけるさらさらの砂も、単なるさらさらな砂や、適当にあるその辺りのさらさらな砂よりも、きちんとこしたようなさらさらな砂の方が“かたまり”の頂きへ近づくわけですよ。きちんとこすための方法も、もちろんそれぞれの“かたまり”職人たちか編み出すわけですが、ここのところの流行はタイヤを使っての、さらさら砂づくりであります。(どのように作るかは、職人たちの企業秘密であるかもしれませんので、ここに記すことはできませんから、こっそりと見に来てみて下さい)


さて、お察しの良い方や、想像力豊かな方ならばお気づきかもしれません。「“かたまり”って、もしかして“泥だんご”に似てる!?」ってね?

実は“泥だんご”と“かたまり”は親戚関係にあるほどに似ているんですよ。作る工程なんかも、この通りそっくり。だけれども、少し異なる点があるんですよ。泥だんごであれば、すべての表面部分、その丸い形状の土の部分を、手で触ることになりますよね。つまりは「不用意に壊してしまう確率が高い」わけですよ。けれども“かたまり”の場合は、すべてではなく、器の部分を触る時にはそれほど神経を使わなくも「不用意に壊す確率が低い」わけです。

まわりくどい説明になっていますが、つまりは“かたまり”の場合は、極める道へのハードルが泥だんごより低いんです。“かたまり”に取り組んでいる年齢層は、泥だんごに取り組んでいたときの年齢層より明らかに幅が広い。お兄ちゃんやお姉ちゃんの“かたまり”に憧れて、ちいさな子どもたちが取り組むにはちょうどいい存在でもあるんですよ“かたまり”は。

たいてい、1日のうちに、何人かの子ども、いや職人から「さわってみて」と、その感想を求められることがあります。なので、その感触については“かたまり”素人ながらも、ここに記すことができます。

まずはその表面が、なんだか“しっとり”した雰囲気が出てくるものです。そして“しっとり”を超えてくると“かちかち”した雰囲気になっていきます。その“かちかち”から、さらに玄人たちによって仕上げられたものは“カッチカチッ”といった、かたまりの頂きへ『KATAMARI~塊~』になることがあるんです。


これほど“かたまり”を連呼することは、人生でそれほど訪れないかもしれない。だからこそ、ふたたび訪れないその一瞬一瞬を大事にしたい。

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※現在、富岡保育園では、職員同士で連絡事項などを共有するスマホアプリの使用が休止されています。(守秘義務の法律に基づいて使用しています)非常にメリットのあるツールの休止に、スマホアプリを使わない、いわゆるアナログでの連絡事項の共有が現在試行錯誤されています。休止期間中“ふたたび訪れないその一瞬一瞬”に、より深く心を動かすことになれば‥とも願っています。

2022-10-12
行きつけの保育園へ行ったよ

“行きつけ”って、辞書なんかで調べれば「たびたび訪れる」だとか「顔馴染み」なんてキーワードを用いて意味が記されているものです。

僕の場合で言えば、そこへ「居心地の良い」なんてキーワードを付け添えたいですね。

僕の“行きつけ”の小料理屋やカフェなどは、もちろんお料理の味も美味しいのですが、雰囲気がすこぶる居心地が良いんですよ。その雰囲気ってものは、店内の環境設定によるところもあるのですが、いちばんの要は、オーナーや従業員の方なんだと思うんです。訪れたその時の僕の心境なんかを読み取って、話しかけて下さる時もあれば、あえて放っておいてくれたり、いわゆる“抜群の距離感”でいてくれるんです。そんな“行きつけ”には、やはり僕のような“常連”はつきものだということも付け加えておきましょう。(行きつけのお店と常連の関係性は、保育園とファンとの関係性にも近いかもしれませんね)


さて、本日は僕にとっての“行きつけ”の保育園へ行ってきました。

島根県江津市にあります「あさりこども園」です。たぶん、この副園長ブログにも何度か登場しているんだと思うんです。なぜならもちろん“行きつけ”だから。(日本海の荒波と大きな風力発電が見えてくると「あさりこども園」に着いた〜!って気持ちになります。)

全国各地の乳幼児施設を見学に行かせていただいておりますが、何度も、なんならほぼ毎年行ってしまう保育園は、ここだけかもしれません。

距離にすると、自動車で片道3時間ほどの保育園が、なぜ“行きつけ”なのか?理由は、やっぱりその“心地よさ”なんだと思います。僕の心境なんかを読み取って、あさりこども園の園長先生や副園長先生などは会話をすすめてくださいますし、現場の先生方もたまたま目が合うと、ほがらかに会釈をして下さるんです。すると、妙に情熱が湧いてくると言いましょうか、勇気が湧いてくると言いましょうか、とにかくやる気が漲ってくるわけですよ。


本日も「あさりこども園」の皆さま、たくさんのお土産(情熱と勇気のお裾分け)ありがとうございました。来月、富岡保育園で開催される公開保育が充実したものとなるように尽力したいと思います。今後とも宜しくお願い致します。


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~おまけ~

副園長村上が“行きつけ”の保育園へ行っている間、富岡保育園を“行きつけ”の保育園としている男子高校生がやって来たんだそうです。なんでも進路が決まったことを報告しに来たかったそうです。“常連”と言っても過言ではないこの男子高校生は、授業が早く終わったりなどした時に寄っては、子どもたちとおもいっきり遊んでくれて、そして爽やかに汗を流し、颯爽と帰って行く、そんな気持ちの良い“常連”です。いつもありがとう。そして進路が決まって、おめでとうございます!

2022-10-11
二郎と三郎の母親

「二郎と三郎の見ました。おもしろかったです‼︎」

何の感想なのか、突然すぎましたので説明しますと‥1ヶ月前ほどに投稿した副園長ブログ、タイトル『ポーンじゃなくてポ〜ン』に登場する二郎と三郎の母親からの、ブログを読んで下さった後の感想なんです。


基本的にブログに登場する子どもや先生は個人情報を守るために仮称にしています。また掲載する写真についても特定できないようにボカシを入れています。

ただ、まったく分からないかと言えば、そうでもないこともあるんです。そうでもない場合で言えば‥たまたまその現場に居合わせちゃってたら、そりゃ分からないわけがない。また保護者の方が、お家でお子さまと保育園での出来事を話していたりなんかすると「あれ⁉︎このブログの内容、もしかして、うちの子どもの⁉︎」なんて重なることだってある。

二郎と三郎の母親は後者の方で、よくお家でお子さまと保育園での出来事を話しているのでしょう。


二郎と三郎の母親も含めて、仕事や子育ての合間を縫って、わざわざブログに目を通して下さるだけでもありがたいことなのに、感想までくださるなんて、まさに御の字でしかありません。誠にありがとうございます。

愛読者の方に支えていただきながら、どうにかこうにか毎日続けています「副園長ブログ」ではありますが‥

なんと‼︎ある出版社の方の目にも届いたみたいで‥ある文学コンテストへのエントリーを依頼されているみたいです。(他人事みたいに記した理由は、まだ実感がそれほど無いからなのでしょう)

たぶん副園長のことですから、はりきってエントリーするんじゃないかと思います。どうぞ皆さまネタのご協力を宜しくお願い致します。(とみほ村は、日々“ネタの宝庫”でしょうから、しっかり観察したいと思います)


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秋のお茶会inクレヨンKIDS
2022-10-10
切ない『ぽ』と『き』

ある先生のところへ“ある注文票”が定期的に届けられるんだそうです。またここのところ、注文内容が増えているんだそうです。

その“ある注文票”とは、いったい!?

もったいぶっていると話しがすすみませんので、打ち明けますと‥“塗り絵の注文票”なんですね。そしてもう少し詳しく言えば、“子どもたちが塗りたい塗り絵の種類を紙に直筆で文字に起こして書いてきたもの”なんです。ぽけもん‥ぷりきゅあ‥きめつ‥だったりの人気アニメなどが箇条書きで連なっています。

ある先生のところへ、ある子どもが、お部屋の塗り絵の在庫が無くなってくると、紙に欲しい塗り絵の種類を書いて届けるわけなんです‥が、ある先生いわく、その“ある注文票”が届くたびに、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちにさせるんだそうです。

その“ある注文票”、塗り絵の種類がそのある子どもによって書かれているわけなのですが‥はじめの頃は「ぽけもん」の“ぽ”の字などは、最後のクルリと丸を作るあたりが反対だったんですね。右回りではなく左回りにクルリとしてあったわけです。その“ぽ”を見るたびに、ある先生は「かわいい〜。」と思わず口からこぼしていたものです。けれども、定期的に何度も届く、その“ある注文票”に記されている“ぽ”が、最近ではクルリと右回りになっていることが増えてきているんだそうです。その“ぽ”を見ると、ある先生は「もう少し、あの“ぽ”がよかったな〜。子どもはどんどんと、すぐに成長しちゃうんだよな〜。ゆっくりでいいのに。」なんて、思わず口から漏れ出ちゃうものです。

そして実は最近、いちばん最近では、そのある子どもによって書かれる“き”が、ある先生にとっては、いちばん危惧されている文字なんだとか。“き”って、縦に伸ばしてピンと跳ねるところがあるじゃないですか。その縦に伸ばす時って、右下に伸ばしていきながら、左に向けてピンと跳ねるものなんだけど‥そのある子どもは、左下に伸ばしていきながら、右に向けてピンと跳ねるわけです。その“き”が、ある先生にとっては絶妙に「かわいい。」わけなのですが‥ここのところ、何個か書かれてある“き”のうち、いくつかは右下に伸びているんだとか。そして、いくつかって思っていたら、もう本当に最近では、ほとんどになってきているみたいで。

子どもの成長って本当に嬉しいことなんだけど、寂しくもなっちゃう『ぽ』だったり『き』だったりにも出会うこともあるようです。


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※ある先生は、富岡保育園の園長先生でした。

ある注文票
2022-10-09
縁側=保育者!?

最近の出勤してからの日課はと言いますと‥お部屋の鍵や窓を開けた後に、虹グループ(3.4.5歳児生活グループ)のお部屋の“縁側”を掃除することから始めています。その後、玄関やら園庭やらの掃き掃除をするのですが‥ときどき、お部屋で使うようなミニカーだったりが、お外で‥積み木だったりが、縁側で‥目にすることがあります。

たいていこれらの室内、お部屋の“中”で使うような玩具を、室外、お部屋の“外”で使っている子どもたちは、1.2歳児あたりなんですね。いわゆる、脳の中身を覗くと、抑制の部分よりも欲求の部分の方が上回っている、そんな発達段階にある子どもです。

保育者だったり、またお兄ちゃんお姉ちゃんだったりも、いちように注意をしたり、また後片付けをするわけですが‥この発達段階の過程は、いささか、どうしようもないところがあることを、保育者はもちろん、お兄ちゃんお姉ちゃんたちも理解している節があるんですね。

今日、早朝に一緒に掃除や洗濯をした保育者が「お山を作ったり、道を作ったりして、そこを、ミニカーを走らせるんですよね〜。お部屋で使って欲しいんだけど‥また楽しんでやるんですよね〜。」と、半ば、実は裏腹に容認しては、その姿を微笑ましく思っている節もあることを、呟いていました。


たぶんブログ読者の中には「だったら、お部屋用と、お外用の、ミニカーを用意したらいいんじゃない⁉︎」と、思いついた方もおられるんじゃないでしょうかね。

それも1つの方法だと僕も思います、が‥“中”と“外”だったり、“あっち”と“こっち”という区別をハッキリつけれる発達段階と、あいまいな認識の段階があることを、裏腹に容認し微笑ましく思っている保育者のように理解しておく必要があるんじゃないかとも思います。たいていは、その段階にくるまで【待つ】ことが大切であることも付け添えておきましょう。


~おまけ~

“中”と“外”であったりの区別、と記しましたが‥日本の文化には、“中”と“外”とハッキリ区別できない、あいまいな認識の段階も広く受け入れる場所がありますよね?

それは【縁側】じゃないでしょうか。室内のようで、室内ではない。室外のようで、室外ではない。室内でも室外でもない、ハッキリ区別しなくとも、すべてを容認し得る、優しい存在。

なんだか、さきほどの裏腹に容認し微笑ましく思っている保育者と、縁側の存在が重なるのは、僕だけでしょうか。


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2022-10-08
限りなく透明に近いブラウン

富岡保育園が所属する町、岡山県笠岡市。能島村上という、海賊が治めていたんだそうです。そしてその後、天下分け目の関ヶ原の戦い以降、徳川家の時代となると‥となり町、備後福山藩を治める水野勝成によって、水野家の領地となったようです。

その後、幕府領となり、廃藩置県の頃には、小田県として、笠岡は県庁所在地となり地方の政治の中心となっていたんですね。

笠岡が当時繁栄するきっかけとなったのは、やはり干拓地にできる浅瀬の平たい海があったことによるんだと思います。

富岡保育園が所在する、笠岡市富岡北地区は、江戸時代の頃の干拓地なんですね。笠岡の中でも最も古い部類に入る干拓地だとも言えそうです。

その江戸時代の頃、笠岡から、となり町の鴨方を行く「備中浜街道」を通ると、富岡保育園が所在する富岡に入っていくわけです。

ブログ読者で、もしも富岡保育園へ来たことがある方ならば、道の狭さに、車の運転で往生したかもしれませんがね‥この道は、旧国道であり、昭和30年あたりまでは、通り沿いには数多くの個人商店が軒並み連ねていたんだそうです。

笠岡って、なんで大きなお城が残ってないんだろうかと思われた方は、冒頭に、海賊が治めていた町だということを思い出して下さい。海賊は海が基盤なので、陸地での住まいに対しては無頓着なところもあったのでしょう。

また、なぜ当時繁栄していたかって、干拓地を理由に挙げましたが、笠岡はその豊かな海路から商業が充実していたんだとかで‥当時は、農業に比べると商業にかかる税収は少なかったそうで、つまりは税金があんまりかからなかった町だからこそ繁栄できた面があるんじゃないかと思うんです。


さて、話しを、そろそろ現代に戻していきましょう。

富岡保育園では今月、就学前の子どもたちが、通う予定の小学校へ健康診断へ行きます。たいてい富岡保育園のある学区の小学校へ大半、8.9割が就学するのですがね‥今年度は、学区外の小学校も含めて、3.4校に分かれて就学する予定になっています。

何が言いたいかって、整理整頓しますと、富岡保育園へは学区を気にせずに入園して頂けていること。そして学区内、もう少し限定しますと、富岡北地区の子どもが減っているってことです。

なぜ、減っているかと言えば、繰り返しになりますが、富岡北地区は笠岡でも最も古い部類に入る干拓地です。そして昭和30年あたりまでは個人商店が軒並み連なっていた場所です。想像してみて下さいよ。現在は、空き家が多くあり、住んでいる方たちも高齢化がどんどんと進んでいるわけです。また商業が過去に盛んだったこともあって、農地も少なく、つまりは農地から住宅地への移行も少ないわけです。空き家の持ち主が、すでに誰だか分かんないこともあるわけです。

そんな富岡北地区に富岡保育園はあることを踏まえながら、笠岡市の人口動態を把握してみますと‥先月、令和4年9月末時点で45,732人なんですね。5年前には49,996人、10年前には53,239人。20年前には59,235人なんです。

もう少し絞って、0歳から4歳までの人口動態を見てみますと‥令和2年は1,146人。その5年前は1,586人、10年前は1,764人。20年前は2,434人なんです。


なぜ、歴史っぽいことから、人口動態などについて、あっちゃこっちゃとお話ししているかと言うと‥

岡山県笠岡市の性格や特徴を把握、もしくは推測でもしておかなければ、保育園の運営は難しくなるんじゃないかと思っているんです。

農業より商業が盛えていた町であることは、つまりは協力よりも、他者との競争が歴史的に強いんだと思うんです。「うちは、うち。よそは、よそ。」みたいな感覚が残っているんじゃないかと思うんです。それでいて、人口が加速しながら比例して減っているですね。町の活気が、人口による原因もあるとしたら、町全体が一致団結しなきゃなんないのに、一致団結がしづらい風潮がどこかであるんでしょうかね。

富岡保育園は、私立園として、約60年にわたって保育施設として運営されてきました。私立園でもあり、保育施設でもあるのですが、いち社会福祉法人として、現状の岡山県笠岡市で、どのように社会へ貢献できるかを、いま一度、熟考しながら、誠実に真摯に保育実践に取り組んでいきたいと思います。


とやかく、あっちゃこっちゃと、おべんちゃらを述べましたが、やはり、目の前にいる子ども、ひとりひとりの“今”に、丁寧に向き合い続けることが、未来に希望を見出せる唯一の方法なんだと思うんです。

本日も、雨上がりの園庭では“限りなく透明に近いブラウンのごとく”泥んこを友とする子どもたちで溢れていました。長靴などは水たまりに埋もれているようでした。そんな中、懸命に回る洗濯機と、手がシワシワになるほどに泥んこの服を手洗いする現場保育者たち。笠岡市の人口が減少しようが、海賊の血筋が原因という都市伝説めいたもので町全体が一致団結できなかろうと、雨上がりの園庭での“愛”は、色褪せることは無いんだと信じています。


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2022-10-07
わいせつ行為した保育者は⁉︎

今日のブログは男性で「保育士」になりたいと思っている方に読んでもらえれば、すこしは参考になるんじゃないかと思います。

男女平等などと謳われ続けていても、保育士は圧倒的に女性の割合が大きい職種です。男性だの女性だの、性差についてとやかく言う時代では無くなってはきていますが、とやかくと問題になる場面もあることも知ってもらいたいと思います。

まず、具体的にお話ししていく前に押さえておいてほしい点があります。日本社会では、やはりある程度、男性が優位に立つような風潮があると思います。けれども、保育現場においては、男女の人数的割合も理由にあるのでしょうが、女性が優位に立つような風潮があると思うんです。ここで、人数的割合を理由に挙げたのですが、保育士という職種が担う職務などが、女性の方が男性よりも得意であるという認識が過去から現在に至るまでにあったことも理由にあるのかもしれません。


現在では、副園長という立場で、すこし現場から距離はあるのですが、管理職であろうと現場職であろうと、男性として意識している点を紹介してみたいと思います。

(※あくまでも個人的なものです。)

まずは、トイレです。職員用のトイレは、男女兼用になっている保育施設は多いんじゃないでしょうか。僕の場合は、トイレへ入る前には「トイレ借ります!」と近くにいる職員に宣言して入ります。そして用をたし終えたら必ず簡易的に掃除をして出ます。ある意味、コミュニティでは男性の代表的なところもあるので、僕が汚していたら、「男性の後は汚なくなる」みたいになってもいけませんし。コソコソして盗撮カメラなんてしかけているなんて思われてもいけないので。トイレには実は細心の注意を払っていますね。


次に、子どもの排泄に関してです。たまに「男性保育士に我が子のオムツを替えられるのは嫌だ」なんてニュースが出てくることもあるくらい、つまりは保護者の価値観は様々だってことです。副園長村上の場合、オムツ替えをする機会は少ないにしても、行う場合ももちろんあります。ですから、どの保護者に対しても、副園長村上という人間を知ってもらっておく必要があるんです。現場職のように保護者と毎日綿密なコミュニケーションをとることはありませんが、挨拶などを通じて顔を定期的にあわすように心がけています。また、オムツをとれているような年齢の子どもに対して、例えば大便後の仕上げのお尻拭きなどの場面に遭遇した時などは「村上先生で、大丈夫?」なんて、子どもに聞くようにしています。

なぜ、ここまで神経を使うかと言えば、僕よりも次世代の男性保育士のためでもあります。男性が保育士として世間で大きく扱われる時って、わいせつ行為などの犯罪であったりしませんか?極少数であるはずなのに、男性保育士=小児性犯罪者なんてレッテルが貼られてしまっては、男性保育士の未来なんてあったもんじゃありません。

『児童福祉法等の一部を改正する法律』が国会で可決され、令和6年4月1日から法律の施行が始まります。

その中で、「児童をわいせつ行為から守る環境整備」についてを少し紹介しますと‥

近年、児童に接する、保育者が、わいせつ行為を行ったとする報道が増えています。

その、わいせつ行為にあたった者は↓

①保育士の登録を取り消されたあとの再登録禁止期間の延長

②登録取消事由に児童わいせつ行為を行ったことを記すことを追加

③児童へのわいせつ行為により、保育士の登録を消された者の再登録を制限するための審査制の導入

④わいせつ行為により登録を取り消された者の情報が掲載されたデータベースの整備(わいせつ行為を行った保育士の情報を、保育士を雇用する者等が把握できるようにする仕組み作り)

(ちなみに教諭に関しては「教育職員等による児童生徒性暴力などの防止などに関する法律」で対応されています。)

(イギリスでは、子どもに関する職業につく際は、性犯罪歴がないことを証明する書類を役所から発行してもらう必要があります。)


また絶対に外せない点は、女性の同僚に対してのコミュニケーションの内容です。副園長という役職の時点で、自分の言動はパワーハラスメントになりやすいことを、まずは自覚しておくこと。また、生理的な不調であったり、妊産婦などへの、キメの細かい配慮が苦手であることを自覚しておくこと。自覚をしておくことで、他の女性職員に「体調不良だったり、妊産婦でしんどそうだったら、いろいろ聞いてあげてね。」と任せる、お願いするようにしています。無理に女性の身体についての理解が乏しい男性である自分がしようとすると、言いたくないことを聞きすぎてしまったりなど“過ぎる”ことで、相手に対してストレスなどを与えてしまいかねません。


未来の男性保育士希望者の皆さま、お読みになって、どのような感想を頂かれたでしょうか?

いろいろと綴りましたが、男性でも女性でも、誠実に真摯に、園・保護者・園児・同僚などと関われば問題ありませんので、ご安心ください。

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2022-10-06
専門家という名の危険人物⁉︎

家族が大きかったり、親戚が同じ町に住んでいたり‥子どもを身近に感じる環境、子育てについての話を他の親と共有することであったりなども含めて、どんどんと希薄になっている今日の状況。

頼りにしてしまうのは、見栄えのするようなSNSの情報源であるか、「専門家」の出す著書や、テレビなどでの発言だろうか。

SNSなどの、一時的な至福を得る情報であったり、安易に比べてしまい勝手に落ち込んでしまいがちな、すれ違ったことすらない有名人などの子育てライフ情報などについては、近寄るか遠ざるかは御本人にお任せするとしまして‥

本日は「専門家」の発信する子育て情報について。

※参考文献「遊びが学びに欠かせないわけ~ピーター・グレイ著~」

ー「専門家」は、危険について警告をすることが自分の仕事だと思っています。権威のある人たちにとって、ほとんどすべてのことは、子どもにとって潜在的な危険性があります。ナイフ、火、細菌、飲み込んだしまいそうな小さなおもちゃ、ダニや他の噛む虫、有毒植物、紫外線、遊びの道具、友だち、年長の子どもや10代の子ども、そしてもちろん子どもを狙う犯罪者や誘拐者。(メディアを見れば、どこの陰にも潜んでいるような印象を受けます。)確かにこれらの危険は存在し、もし子どもがまだそれらについて知らないなら、知らせる必要があります。しかしながら、不安があまりに大きくなりすぎて、子どもたちを外で遊ばせたり探索させたりせず、自分でリスクも冒せないなら、私たちは自分で対処する方法を学ぶ機会を奪い去ってしまいます。これこそが最大の危険です。

ー「専門家」の中には、子どもたちが自分のことをいつもよく思えるように、子どもたちの壊れやすい自尊感情を守ってあげなければならないと主張している人もいます。親はそれに次のような形で反応します。子どものどんな小さな達成したことでも褒める。子どもの試合には必ず行って応援する。そして、子どもの人生が失敗しないように計画を周到に立て、そして実行する。ほとんどの子どもは、そのような継続して褒められることやサポートがおかしいと気づいており、自分の親に対処しなければならないもうひとつの大きな頭痛の種になり、そこから自由にならなければならないと思っています。

ー「専門家」の中には、私たちは子ども自身の愚かさからも子どもを守らなければならないと警笛を鳴らす人もいます。子どもたち、特に若者たちは生物学的な理由でばかであると裏づけている新しいデータを、私たちは頻繁に読まされます。そんなことはあり得るはずがありません。もしそれが本当なら、私たちは種として何万年も生存し続けることなどできなかったでしょう。


危険について警告して下さる「専門家」たちにも危険があるなんて‥いったい全体、世の中はどうなっているんでしょうかね。

ほぼ、毎日、どこかで子どもに起きた悲惨な出来事が報道されていますが‥何万人もの子どもたちが大人の指導なしに外で遊び、より健康に、より賢く、より勇敢になって無事帰宅したところで、ニュースにならないんですよね。親が受け取る情報は、統計的な現実をまったく反映していませんよ。


いちよう専門家のはしくれ⁉︎副園長村上からの、警笛でした。お気をつけください。

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2022-10-05
『やっぱり、お外なんです』

ノーベル医学生理学賞に決まった、スバンテ・ペーボ教授は、困難と考えられていた数万年前の古い人類のDNA解析に成功したそうです。生き残った僕たち現生人類の他に、ネアンデルタール人や、デニソワ人なんかがいたみたいなんですがね。ちなみに、僕たち現生人類のなかにも、ネアンデルタール人や、デニソワ人なんかの遺伝子が由来しているヒトもいるのだとか。ワンちゃんみたいに考えると、僕たちはたいていはヒト科の雑種なんでしょうね。

※ネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子情報が、新型コロナウイルス感染症の重症化を抑える効果があるとノーベル賞受賞のペーボ教授は指摘しているそうです。


富岡保育園や、クレヨンKIDSでは、朝登園するなり、外で遊ぶ子どもがほとんどのようなんです。なかには、食事や排泄の時間を除いては、ほとんど外にいる子どももいたりします。お部屋の中には、もちろんあらゆる玩具だとかもあるのでしょうが、それではなく、お外なんです。鬼ごっこなどのルールのある遊びに興ずる場合もあれば、無心で土を掘り続けることだってします。また大人には未知の世界であるかのような解説を不要とする遊びをしている場合も多くあります。雷の鳴り響いたり、大雨なんて降らなければ、やっぱり、お外なんです。


実はこの『やっぱり、お外なんです』情報については、本日開催しました富岡保育園・クレヨンKIDS合同主任ミーティングの際に、各主任先生が口を揃えて語っていたお話しによるところです。

やっぱり、お外である理由として、僕たち現生人類に、ちゃんとネアンデルタール人だったり、デニソワ人だったり、もしかすると他のヒト科の祖先の遺伝子が由来されているからなんじゃないかとも思いますよ。

『やっぱり、お外なんです』は、ヒト科として、医学生理学的にも、人類学的にも、とにかくなにやら的にも、正常なんじゃないでしょうか。


すると‥一日中、子どもが室内でいることは、ヒト科として、なにやら的にも、もしかすると正常でない⁉︎


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2022-10-04
「一斉保育でない一斉保育」にならないための1つの方法

富岡保育園保育実践改革は、実はまだ継続中です。2017年11月からはじまり、かれこれ丸5年ほど経つのですがね。なぜなかなか終わんないのかって言えば、原因があるからです。それは、「壊し続けているから」なんです。

“壊す”って、なんだか怖い表現になっちゃいましたので、優しく説明していきますと‥僕も含めて、たいていヒトは完成させて、結論づけて、着地させて、安心したいんです。安心するための方法としては「〇〇は〇〇通りにしようね」って、きちんと決まったマニュアルを作ればいいんです。

一斉保育から脱却するために、「見守る保育」を学び、丸5年ほど改革を続けていくなかで、なんとなく、なんとなくですが富岡保育園ぽい見守る保育の実践方法なんてものを掴めてくるタイミングがあるんです。そのタイミングには必ず「〇〇は〇〇通りに」めいたものが、ふんわりと作られているもんです。

ただ、そのふんわりめいたものが積み重なっていくと、それは強固なマニュアルへと転じていって、ある種の一斉保育でない一斉保育になるんじゃないかって、僕は思うんです。

そこで、ふんわりめいたものが少しずつ積み重なってきたところで、現場ではない立ち位置である副園長村上から、現場にある種のやっかいな課題を投げることを、この丸5年の中で何度もしてきました。投げると言っても、軽くトスをするわけではなく、上手投げで全力でふんわりめいたものを壊しにかかっているわけです。

現場保育者たちに同情するブログ読者がいてもおかしくないと思います。僕も現場保育者であれば、「せっかく努力を積み重ねてきたのに、無駄になるじゃん!」って憤りにも近い感情を持つかもしれません。

けれどですね、この丸5年で言えば、そのやっかいな課題をことごとく乗り越えていったわけですよ。主任や副主任先生たちを筆頭にチーム一丸となって「トライ&エラーだよね!」って、合言葉のようで、どこかお経のように不安を吹き払いたいかのように、それを唱え続けながら励んでいくわけです。


せっかくなので‥現在、富岡保育園の現場保育者たちに降りかかっている“やっかいな課題”を、ブログ読者にも共有してもらいましょうか。

富岡保育園では、ほぼ一日中、クラスや年齢の垣根をこえた暮らしを、固定担任制などもとらずに実践しています。いったいぜんたい、どうやってるの?と思われた方がいるでしょう。単純に言えば『全保育者が全園児の担任』と思って保育実践することです。ただ単純には言いましたが『全園児の情報を全保育者が理解しておくこと』が必須条件になるわけです。

この難解な条件を乗り越えるために、富岡保育園では、お昼と夕方に、主任や副主任先生が司会をするミーティングを行います。ここで園児やその家庭、また保育実践などについての情報交換をするんですね。そして、その内容をスマホアプリにて全保育者で共有することにより『全園児の情報を全保育者が理解しておくこと』が可能になるわけです。

(※もちろん法律で定められた保育士の守秘義務に基づき行なっております。)


が、しかし!が、しかしですよ!本当にスマホアプリを使わないと『全園児の情報を全保育者が理解しておくこと』は可能ではないのか?

この手軽で便利なスマホの恩恵は多大なんだろうけども、スマホアプリが無ければ、富岡保育園保育実践改革は続けることができないのだろうか?

そこで、この問いに、ある実験を行うことにしました。それは10日間「富岡保育園ではスマホアプリを使った情報交換をしない」ことです。

この実験にあたって予想されるものとして、情報がすぐさま手に入らない不安があると思うんです。ただ、その不安を取り除くには翌日、必ずミーティングの内容が綴られたノートを熟読することであったり、仲間と多くコミュニケーションをとることをしなければならないでしょう。

そしてこの実験の結果で、実は一番気になっている点としては‥情報交換をするためにスマホアプリに向けられた時間や、その想いが、どこに転じられるのだろうか?なんです。

「あ!なんて素敵な場面なの!よしこれを仲間にも共有しよう!」と、写真を撮ってスマホアプリに向けていたところを‥より素敵な場面に気持ちを深く深くおとしこんだりするかもしれませんし‥

実験結果は、また10日後にお知らせしますね。ブログ読者の方も現場保育者同様に「トライ&エラーだよね!」って唱えて応援してくださいね。


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つくってはこわして、あたらしくなる。
2022-10-03
完成しない小さな村を育てる

“根”がつくためには、まずは土を耕すことでしょう。アスファルトのような硬い地面ではなく、あらゆる菌や養分などがつまったふかふかの土であれば、根付きやすいんだろうし、豊かに育つんだろうと思うんです。

子どもについて語りたいんだろうと予想されたかと思いますが、今日は保育園という場所についてです。

よく耳にする「地域に根ざした保育園」ってフレーズがあるじゃないですか。このフレーズは“地域”が繁栄していることがベースにないと成り立たないと思うんです。

つまりは少子高齢化であったり、過疎化が進んでいるような“地域”の場合は、「保育園に根ざした地域」を目指す方が、地域も保育園も共存できる可能性を残せるんじゃないかと思うんです。

なぜかって、例えばですよ‥僕が勤めています富岡保育園の所在する、岡山県笠岡市富岡北地区の場合‥平日の日中時間に、20代や30代以上の現役世代が稼働している人数の多い場所と言えば、富岡保育園になるわけです。整理整頓すると、日中時間、富岡保育園を除くと、ほとんど高齢の方しか残っていない地域なんです。勘違いしないで頂きたいこととして、高齢の方を甘く見ている訳ではなく、ただ単に、心身の体力のある現役世代が“地域”を守らなくてどうすんだいってことです。


5.6年前ほどから、富岡保育園は“とみほ村”という、ひとつの“小さな村”コミュニティを作り育てていくことに励んでいます。

もちろん保育園ですから、子どもが遊んだり生活する場所なわけですが、それだけではないことを、ひとつずつ再確認しながら進めています。

保育園の先生や、保護者の方だって、働くだけでなく、この場所で遊んだり生活する場所にもなっているよね。最近では、夕方お迎えに来て下さる保護者の中には、1.2時間ゆっくりとベンチに腰かけて、我が子に限らない様々な子どもたちを見守ってくださる方だっておられます。

地域に対しても、どんどんと“小さな村”に入ってきて頂こうよ。“富岡北地区まちづくり協議会理事会”だったり、“富岡北地区富岡西いきいきサロン”だったり、地域の会合にだって使ってもらおう。毎月定期的に来て下さるようになると、友人や知人の方も連れ添って来園して下さるようにもなっています。太陽のお台所(給食室)が作る、ワンコインランチなんて特に人気です。

いろいろな人が行き交うことで、とみほ村の土はどんどんと“ふかふか”に耕されているんです。すると地域の枠をこえた、市外や県外からだって、気軽に新しい風を吹かせに来て下さるんです。最近では、遠方からオカリナを片手にお越しくださり、園庭の切り株に腰を落ち着けながら、素敵なメロディーを奏でて下さる方だっておられました。もちろんすぐに子どもたちが大勢と寄り合い、たくさんの曲をリクエストしながら心地の良い時間が流れていました。


“小さな村”とみほ村が完成することはないんだと思うんです。子どもも、大人も、地域も、多種多様な価値観を持つ人たちが出会い、個性が交わる、そんな居心地のいい場所をつくり続けること。そうすることで、新しい“なにか”、産業や食、アートにカルチャーなどを生み出す『未来の種』が、育てていけたらとも考えています。


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★持ち込みのイベントや企画などあれば気軽にお声掛けください。(担当 副園長村上)

ある秋の空の下
2022-10-02
なんだかいいことがありそう

先日、富岡保育園園長先生から「なにか、悩んでいることや、困っていることってある?」なんて質問をもらいました。

話しを続ける前に、少し注釈をつけますと、園長先生からこの手の質問をもらうことは普段まったくありません。なぜかって、悩んだり困ったりする前に、あらかじめ話し合ったりしながら対策をいくつか講ずる癖があるからです。癖と表現したところによると、副園長村上は案外と小心者で、危機回避能力が非常に敏感に働いていて、たいてい常に最悪最低の状況なども想定して行動するところがあるからなのですね。

そんでもって、なぜ園長先生が冒頭の質問をしたかと言えば‥11月に開催されます、全国で「見守る保育」を実践する保育園界隈での公開保育を富岡保育園が受けることが決まったもので。その当日のプランの中に、見学園に選んでもらった園の悩みや困ったことを皆で共有しようってのがあるんです。

このたびの公開保育のテーマが『地域にひらいてみたら』であるので、もちろん“地域にひらいたら〇〇な悩みや〇〇に困ったことがあって”との声を挙げればいいのでしょうが‥どうにもこうにも今のところ思いつかないんですね。

なぜ思いつかないのか‥悩みや困っていることに自覚が無い、又は地域の方々が僕を悩まさないように困らせないように気を遣ってくれているからなのか。まぁどちらも当たっている節があるのでしょうが。


悩みや困ったこととは裏腹ですが、嬉しいことがありましたので報告しておきましょう。

富岡保育園が所在します、岡山県笠岡市の富岡北地区には、富岡西・中・東という、さらに小分けされた地区があります。その3地区で協力して、地域の神社「徳民於賀神社」を守っているわけです。

秋の恒例行事である例大祭は、たいてい10月の第3週の土曜日、日曜日に執り行われます。御神体を乗せたお船が“御神幸”(神がお出かけになること)に出発し“お旅所”をめぐって祈願するんです。

ただ、御神幸について、富岡北3地区については、高齢者の増加なども含めた理由から負担軽減のため、当番家制度を廃止したんですね。そうなると、御神体を乗せたお船は通過するのみになってしまって、祈願することができないわけですよ。

そこで、3地区合同の“お旅所”を‥なんと‼︎“富岡保育園”に設置することで、地域の安全と豊作などの祈願をしようじゃないかって話しが、案として出てきているらしいじゃありませんか。


実のところ、副園長村上は“御神体”だったり“御神幸”、また“お旅所”だなんて言葉自体に、ほぼはじめて出会ったものなのですがね。とにかく縁起がすこぶる良さそうじゃありませんか。なんたって、本来は神社などですることを、まさか保育園の中で執り行われるわけですよ。ありがた〜い依頼なもんですから、すぐさま園長先生はお受けしておりました。

これは、間違いなく富岡保育園『なんだかいいことがありそう』ですよ。


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※『なんだかいいことがありそう』に、あやかるお詣りで来園される方もお気軽にお越し下さいね。

富岡北地区富岡東の裏山あたり
2022-10-01
ムラカミ・デラックス登場⁉︎

「準備ができたら、手はお膝で待っていて下さいね。」

「はい。」

「“はい、いいですよ”と、先生が言ってから始めて下さいね。」

「はい。」


この会話に聞き覚えのある方はいますでしょうか?もしかすると、僕と同業者(保育園や幼稚園など)の方ならば、大昔に聞いたことがあるか、もしくは現在でも聞いことがあるのか‥それぞれではあると思いますが、それだけ定番の会話のひとつなんじゃないかと思うんです。

でもですね。同業者じゃない方が、もしくはお笑い芸人のダウ〇タウンの浜田さんなんかが聞いてしまったらね、こんなツッコミを入れるんじゃないかと勝手に想像しました。

「準備ができたら、ちゃっちゃっと始めんかい!いちいち手はお膝なんか、犬の“お手”と、ちゃうんやから!」


さすがにダウ〇ダウンの浜田さんのようなツッコミを僕が入れるわけにはいきませんが‥そもそも何で“手はお膝”なんですかね?よく僕も含めた保育士って“手はお膝”って言いたがるじゃないですか。たぶん科学的根拠だったり、科学的でもない明確な根拠なんてのも存在はしそうにないのですがね。強いて答えを出してみると、指導している子どもたちが“手はお膝”で全員待っていると、整然としていて、指導者として気持ち良いものだから、なのかな⁉︎やっぱり答えを出そうと思うと無理がありますよね。


『“はい、いいですよ”と、先生が言ってから始めて下さいね。』習慣に染まってしまうことって、個人的には危機感を覚えるんです。

なぜかって、どう考えたって“指示待ち”症候群と言いましょうか、中毒といいましょうか、子どもに対して「一旦、思考力を止めてくださいね!」って遠回しに言っているようなもんじゃないでしょうか?

なんだか、ダウ〇ダウンの浜田さん以上に、マツコ・デラッ〇スさんなどのような毒気のある文脈になっちゃいましたが‥


最近、ある教室に、ある園児とお邪魔した時に、ある違和感を覚えたものですから‥申し訳なく思いながら綴ってみました。

お部屋に入ったら、手洗いをして消毒をして着席をするわけです。何度も通っていると、指示される必要もなく、入室したらその動作をするわけですね。

水道で手洗いをして‥

隣に置いてあるチリ紙をとって手を拭こうとしたところ‥

「“チリ紙下さい”と先生に言ってから取ってね。」

「はい!“チリ紙下さい”!」

仕切り直してチリ紙を取って手を拭こうとしたところ‥

「待ってね。先生が“はい、いいですよ”と言ってから取って下さいね。」


いかがでしょうか?危うくムラカミ・デラックスになりそうになったところで自制心を働かせて、自分の過去を思い出してみました‥

よくある話しだとは思うのですがね。例えば、保育園でいうところの“トイレ”について。トイレって、おしっこやウ〇チをもよおしたくなった時に行く所ですよね。まさか、クラス全員の子どもが同じタイミングで、もよおしたくなるなんてマジックはありませんよね?それに、生理的もよおしに対して先生の許可なんているのでしょうか?

つまるところ、乳幼児のトイレ文化が、小中学生などでのトイレ問題、不要な場面で何度も行ったり、連れションだとかですね、そんなところに影響しちゃってんじゃないのかなって。


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2022-09-30
“時間帯による子ども集団”

子ども集団の種類について整理整頓してみたいと思います。

年齢別クラス活動はほとんどと言っていいほどありませんので、〇〇クラス全員で集まる子ども集団はほぼほぼありません。ただ、だからと言って集団が無いわけではなく、大なり小なりで集団が形成されているんです。

分かりやすい例で言えば、興味や関心ごとが似通っている集団。虫捕りが好きな子どもは、虫捕りをしながら自然と集団になっています。ただもちろんその集団の中では、自然と上下関係のようなものも生まれてはいます。

また、興味や関心を少し一歩前進させたような、遊びの難易度に応じた集団があります。トランプであったり、既存のルールが複雑である遊びの場合は、ルールが理解できるか否かで集団が形成されているようです。けれども注釈をつけるとするなら、理解が難しくとも、集団の側にいることが許される場合もある点です。遊んでいる様子を観察する子どものことです。

たいていこの2種類の集団が主だってはいますが、興味や関心は移ろいやすいものですし、ルールの理解度なんてものも発達に応ずることもありますので、つまりは集団もランダムに形成されるってことです。ただ忘れちゃいけない点としては、子どもも一人のヒトとして、気の合う、波長の合う、そういった言葉や数値化などできないような要素が集団形成に働いていることです。

このあたりで、だいたいは整理整頓できたんじゃないかと思います。1年間通して観察すると、「あれ、最近あの集団のメンバー変わったよね⁉︎」ってことが必ずあるんです。そこに気づいて、さらに背景を追ったりなどすると、子どもの発達はもちろん、興味や関心ごとの移ろいなどに理解が及べたりするものです。


と、ここでまとめに入ってみたものの‥もう1つ忘れちゃいけない、保育園特有の子ども集団があったので紹介したいと思います。

それは、“時間帯による子ども集団”です。

富岡保育園の場合であれば、登園時間は7時から10時くらい。たいてい保護者様の出勤時間などによって、登園時間は決まるものですし、また帰宅時間も決まるものです。ですから例えば、早朝や夕方などの時間帯は、興味や関心が違えども、理解度や発達なども違えども、また気の合う波長の合うなど関係なくとも、集団が形成されやすいんです。ただですね、本当に面白いもので、同じ時間帯をたくさん過ごすことにより、気が合ってきたり、波長が合ってきたり、自然と仲が深まることもあるんです。


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7時30分ごろ、まったり。
2022-09-29
学校と監獄

『遊びが学びに欠かせないわけ~自立した学び手を育てる~』ピーター・グレイ著(ボストン・カレッジ心理学教授)

僕の上司である理事長、また僕の友人であるフリースクール代表が、感銘を受けた1冊の本です。

著者であるピーター・グレイ先生の息子さんが、既存の“学校”という存在に対して、ことごとく反発したんだそうです。それを契機に、研究者として息子さんが受け入れられる“学校”探しの旅に出たのです。その過程で、文化人類学の領域や、学校制度の誕生史にも目を向け、さらにはインドのストリート・チルドレンの教育力や、遊びの異年齢の子どもたちの教育力を再発見したんだそうで、その熱い想いをこの1冊に込めているんですね。

(※保育LABOにもありますよ。)


今日はこの本の中から、1つの項目を紹介してみますね。刺激的なテーマかもしれませんので、気持ちを整えながらお読みください。

【学校と監獄】

ー学校を始めたプロテスタントの改革主義者たちにとって、学校は矯正施設だったのです。彼らは、子どもは生まれながらの罪深き者であるという前提をもっていました。地獄に行かなくていいようにするために、子どもたちは学校に行く必要があるのです。そこで、プロテスタントの教えに一致したものにつくり変えられるのです。

ー徐々に、宗教的な言葉は消えましたが、根本的な考えは残ったのです。つまり“子どもは無能で、信頼に値せず、強制されることが必要な存在”で、学校の矯正力によって、社会のリーダーが好ましいと考える人間に子どもをつくり変えるのです。

ー的を射たもうひとつの表現に、「強制的な教育」があります。監獄と同じように、不快に聞こえます。でもよく考えてみると、もし義務教育があれば、強制的な教育があるのは当たり前です。「義務」という言葉にもし意味があるとすれば、それは「当事者には選択がない」という意味です。


ブログ読者の皆さま、いかがですか?なかなか辛辣な文章が続いたかと思いますが‥

実は最近、僕も思うところがありましてね。富岡保育園が所在する笠岡市では、小学校と中学校を切れ目のない支援を目的に一貫校にする動きがあるんですね。それに関してとやかく言うつもりは無いのですが、その一貫校の名前を「〇〇義務教育学校」なんてしようとする案があるとの噂を聞いたものですから。“義務”なんて付けられた学校に、子どもたちが行きたくなりますでしょうか。大人であれば「〇〇義務株式会社」なんて会社に働きにいきたいと思いますかね。


ピーター・グレイ先生は、強制的な教育制度に7つの罪があることを進言しています。題目だけ紹介してみますね。

①正当な理由も適正な手続きもなく、自由を否定している

②責任能力と自主性を発達させる妨げになっている

③学びの内発的動機づけを軽視している(「学び」を「勉強」ないし「苦役」に転換している)

④恥ずかしさ、思いあがり、皮肉、不正行為を助長する形で生徒を評価する

⑤協力といじめの衝突

⑥クリティカル・シンキングの禁止

⑦スキルと知識の多様性の減少


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おねえちゃんと、はみがき。
2022-09-28
“P”の困惑

中学生くらいからでしょうか、20年以上たちます現在にいたるまで、地元の友人からは“たいP”というアダ名で通っています。アラフォーになる、いいオッサンにも関わらず“たいP”だなんて、どことなく恥ずかしくもあるのですがね。中学生から続く仲だからと、しょうがないとあきらめてもいますし。なんならその友人の幼い子どもたちからも“たいP”だなんて親しみを込めて呼ばれるもんですから、気に入っていると言えばそうでしょう。

(※本名は“村上太志”と書いて“むらかみたいし”と読みます。)


ただ、最近困ったことがあるので、ブログ読者にだけ打ち明けておきます。

プライベートの“たいP”は、それはそれとして‥職場の保育園で、最近ある子ども集団から“むらP”と呼ばれるわけですよ。

ある集団ってのは、いわゆる3歳児くらいから5歳児くらいの、暑いときも寒いときも一日のほとんどを外遊びに興じるヤンチャな男の子たちです。

今日も朝から「“むらP”畑行こう〜。」「“むらP”なんしょん?この泥団子さわって〜。」などと、とても親しみを込めて呼んでくれるわけですよ。

たぶん、ほとんどのブログ読者は「いいじゃん。親しい仲って証拠じゃん。よかったね。」って感想をもってくれるんだと思うのですが、僕は複雑なわけです。

なぜかって、富岡保育園の副園長兼任、コミュニティを村として組織する“とみほ村”の村長として、僕なりには頑固親父と言いましょうか‥「巨人の星」という昔のアニメで言えば“星一徹”ばりの‥いや、高倉健さんや勝新太郎ばりの、そんな現代では一筋縄ではいかない化石のような“漢”(おとこ)を演じているはずなのですがね。

“P”なんて付けられた日には、ヤンチャな男の子たちが悪さをしたところで怒れないじゃないですか。ちゃぶ台をひっくり返そうにも力が入りませんよ。


たまには、こんなブログの内容でも“P”の付く者ですし、お許しくださいね。正直、呼び名はなんでもいいんです。呼んでくれるだけでありがたいじゃないですか。

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~おまけ~

“P”の付く者が最近読んでいる本

・『天皇の国史』竹田恒泰

・『新史 太閤記』司馬遼太郎

・『大衆の反逆』オルテガ・イ・ガセット

・『オーストリア滞在記』中谷美紀

・『子どもたちへのまなざし』渡部達也

※保育LABOの本棚にあります。ご興味ある方はレンタル可能ですよ。お気軽にお越しください。

昨日、9月26日、午前の刻
2022-09-27
ヒーロー見参‼︎

「ちょっと!待って!横断歩道のとこじゃあ、ちゃんと止まって、ちゃんと手を上げて、ちゃんと右左見て、ちゃんと渡らんといけのんで!」

“ちゃんと”推しの、鋭い女の子の声が、玄関先の横断歩道あたりで聞こえてきました。いかにもお迎えに来てくれたお家の方に言っているようにも見えます。

この女の子の推しは、もちろん的確だし、間違っていませんよ。ただ、なんで今日に限ってこんなにも推すのかって言えば理由があるんですよ。


実は‼︎本日、富岡保育園にて笠岡警察署交通課の方による「交通安全教室」が開催されたからなんです。

つい先日納車されたばかりのピカピカのパトカーが、富岡保育園内のお庭に到着。その光沢がかったパトカーから、2人の警察官が正義感あふれる眼差しと、園児への優しい眼差しを合わせて降り立ったんです。


警察官の方が、横断歩道を渡る時などのルールを、分かりやすく、丁寧に園児たちに伝えて下さいます。パトカーに、かっちょイイ制服に、ヒーローがかった警察官に、参加者である園児、職員、すべてが虜(とりこ)になってしまった時間でした。

その後、なんとその納車したてのパトカーに、試乗を園児たちはさせてもらいました。まさか、憧れのパトカーのハンドルを握れるとは‥嬉しいが過ぎて、何度も何度も試乗する園児であふれていました。


このたびの交通安全教室の依頼について‥実はある方に相談した結果、開催が決まったこともお伝えさせてください。

そのある方とは‥昨年度まで、富岡保育園が所在する岡山県笠岡市富岡の“富岡交番”で勤務されていた警察官です。昨年度、毎月のように、富岡保育園付近をはじめ、園児の安全を懸命に守って下さいました。そして今年度からは交通課へ異動になったことを聞いていたんです。だからこそ、交通課へ交通安全教室の依頼をしたわけなんです。ある方は、保育園へ来るたびに、園児に“正義”と“ヒーロー”とはいかなるものかを表現し伝えて下さっていたんです。


このたびは、ヒーロー、そしてヒーローの素敵な上司様、貴重な体験をさせて下さり誠にありがとうございました。必ずや、このたびの参加者から新たなヒーローが生まれてくるはずです。


来年度は、ヒーローが白バイでやってくる⁉︎乞うご期待‼︎


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ヒーロー&ヒーロー上司様
納車したてのパトカーの輝き
2022-09-26
頭でっかちにならないように

“主体”ってキーワード、昨今の保育界ならびに教育界では間違いなくトレンド入りしているんじゃないでしょうか。

ことあるごとに主体性だとか、主体的だとか、とにもかくにも“主体”って引っ付けたり、貼っつけたりしておけばね。「お〜!ここは良い保育園だ」「ふむふむ。ここは良い教育してんな」ってね。

ただ“主体”って言葉が氾濫しているようで乱用しているようで、何が何だか分かんなくなってきちゃいないだろうかなって、ここのところ思っているわけだ。


そこへきて、ふとストンと来ちゃった“身体の感覚”ってキーワード。主体って言えば「自分の頭で考える」ことから行動を起こすわけだろうけど‥問題は“考える”ってところ。もちろん“考える”ことは大事なんだけども、その前の“感覚”が近頃ないがしろにされてはいまいだろうかなって。

たとえば、自分の頭で考えて良い食べ物を選んで食べることは、もちろん良いことなんだけど‥実はそれより前に、匂ってみたり触ってみたり口に入れたりしてみて、自分の身体の感覚を通して「良い食べ物だな」って思うことが本当は大切なんじゃないかってこと。

食べ物で例えてみたんだけど、病気であったり、それこそ教育であったり、人間関係であったり、なんにでも当てはまるんじゃないだろうかなって。

うまく説明できていないし、なんなら考えながらブログを綴っている僕ではあるんだけど。“身体の感覚”を磨けたり、また特に乳幼児であれば守れたりする環境が、保育や教育現場では“考える”より先にあるようで必要な気がする、この頃。

頭でっかちになり過ぎないように、すこし海や空をながめながら散歩でもしてみようと思う。人間も動物だって忘れないように。


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身体で。
身体と。
2022-09-25
大変であるにも関わらず‥

ブログ読者への報告が遅くなりましたが‥富岡保育園では、今週末まで休園措置となっています。理由はと言いますと、副園長村上が何かをやらかした訳ではなく‥とあるウイルス感染拡大によるところです。このたびは、セキやノドの痛みなどの症状はほとんどないようで、急な発熱や節々の痛み、倦怠感が主な症状のようです。今のところ、重症化している園児はいないようで、ひと安心するところもありますが‥看病にあたってくださっている保護者の方たちにも感染してしまっているようで、申し訳ない気持ちと心配に重ねて回復を祈る気持ちでもあります。どうかご自愛ください。


さて、休園期間中に、何度かご家庭に電話をさせていただきました。あえて一斉メールだったり、そういったアプリを使用しての連絡は富岡保育園ではしておりません。理由を挙げるとしたら、世帯数が50程度であることももちろんありますが、やはり“生”(ナマ)の声で、互いの気持ちの確認をしたいことにあります。どんな気持ちで休園期間を過ごしているのかって、分かりやすく文字に起こせる方もいるだろうけど、声のやりとりでは、口調や声色などの情報から察することができるじゃないですか。


「もしもし、富岡保育園の村上です。大変迷惑をおかけしていておりますが‥〇〇君は、その後、いかがお過ごしですか?」

「いえいえ〜。〇〇は、2.3日で元気になって、今は元気過ぎで困っています。」

「そぉですか。それはよかったです。ご家族の方はご無事ですか?」

「それが、昨日くらいから、私や旦那が熱が出てしまって。」

「うわぁ〜。そうなんですか。しんどい時に電話してすみません。くれぐれもお大事になさってください。」

「(ママー、だれから電話?)(むらかみ先生!)(ちょっとかわって!)あの〜、ちょっと待ってくれますか?」

「・・・。」

「・・・。」

「すみません!ちょっと子どもが電話かわってくれって言うもんだから。かわった途端しゃべらなくなって。」

「いえいえ、後ろで元気そうな声が聞こえて良かったです。ありがとうございました。」

「先生たちも、身体に気をつけて、ご無事になさって下さいね。」

「ありがとうございます。それでは、皆さまお大事にしてください。」


こんな電話のやりとりをするわけです。看病して大変だったり、感染してしまって大変だったり、また仕事を休んで大変だったり。どの保護者の方たちも、それぞれに大変であるにも関わらず、園や職員に対して心からの労いの言葉、気持ちを傾けて下さるんです。ありがたい限りであり、このご恩を日々の保育実践でしっかりと返していけるよう、あらためて誠実に謙虚に努めてまいりたいと思います。


26日(月)から通常運転の予定です。休園期間中の体調の変化や、またご家庭での出来事など共有できれば幸いです。

※26日(月)14時から、笠岡警察署交通課の方による交通教室が園庭で開催されます。


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各施設の方へ敬老の気持ちをbyクレヨンKIDS
2022-09-24
またいつか会えたら‥

毎日ブログを綴っていますと、もちろんのこと“言葉”にそれ相応のこだわりというものを持つようになります。それは“伝える”ための工夫とも言えると思います。けれども、勘違いしちゃいけないって自分に言い聞かせていることの中に「あくまでも言葉は伝えるための1つのツールに過ぎない」って、言葉を過大評価し過ぎないように戒めている節があります。伝わんないな〜って思うところがあれば、それは言葉だけのせいじゃなくて、話す表情や仕草、また雰囲気にだってなにかしらの訳があるかもしれないよねってこと。


これからご紹介するNarrative Tree(ナラティブツリー 現場保育者が綴る物語)も、実は“言葉”に対しての想いが改まった内容でした。

言葉で伝わらない世界を、現場保育者が丁寧に懸命に言葉で伝えようと綴った物語を、どうぞお読みください。


Title 言葉ではなく心で繋がる

 8月、笠岡弁が渦巻く、とみほ村に、新鮮な風が吹いた。カナダから帰国したAちゃん(4歳9ヶ月)が、1ヶ月の間、入園してくれたからだ。

 Aちゃんは、母や祖父母が日本人ではあるものの、日本語はほとんど話すことなく、英語で一生懸命伝えたり、うなずいたり、首を振ったりしながら意思の疎通をしていた。

 やはり知らない土地で、知らない言葉を話す人のなかで過ごすのは、不安や恐怖もあったのだろう。登園しても母と離れがたいこともあり「ママ〜」と泣いてしまう日が続いた。

 私たち保育者はみんな「なんとかAちゃんが安心して過ごせないだろうか」と、関わり方や表情、いろんなことを試行錯誤してみてはいたが、やはり大人にとっての言葉の力は大きく「どうしたら伝わるのか」ということに頭を悩ませる日もあった。

 しかし、ある日の出来事を見て「あぁ、いらない心配だったな」と胸を撫で下ろすような気持ちになった。

 Aちゃんが、そらグループ(0.1.2歳児生活グループ)で過ごしていた時のこと。Bちゃん(1歳7ヶ月)が、おもむろに本棚から絵本を1冊とり、Aちゃんにすっと差し出したんです。Aちゃんはそれを受けとると、自分のお膝をポンポンとたたき「すわっていいよ」の合図をしました。それを見たBちゃんは、ちょこんとAちゃんのお膝に座り、絵本を見せてもらいはじめました。

※この間、2人は無言でした。

 Aちゃんは絵本に書いてある文字を読むことができないだろうけど、絵を見ながら英語で何かを話していました。

 BちゃんはAちゃんが話していることを理解できてはいないだろうけど、その声を聞きながら絵本をじーっと見つめています。

1冊読み終えると、Bちゃんはまた次の絵本を取りに行き、日本語を話す私たち保育者ではなく、英語を話すAちゃんに差し出しました。そしてまた、同じようにAちゃんのお膝に座って読んでもらっています。

 2人の間では、言葉によるコミュニケーションはそれほど重要ではなかったんだろう。お互いに自分を受け入れてくれている“あたたかい存在だ”と認識しているからこそ、その子のために文字の読めない絵本を丁寧に読み聞かせ、また聞き覚えのない言葉を話すお姉ちゃんのお膝の上で安心することができたんじゃないかと思う。

 約1ヶ月しかなかったAちゃんとの日々。Aちゃんも私たちも言葉の勉強がしたかったわけじゃないんだ。まず1番大切だったことは“心”で繋がること。AちゃんとBちゃん、4歳と1歳の友情から改めて気づかされた日であった。

 またいつか会えたら、今日のことを思い出し“心”で関わり合いたいと思う。


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2022-09-23
保育士の賃金の未来について

保育士の賃金の未来について、予想してみたいと思います。結論から言えば、僕が生きている間においては、大きな変動は起こらないんじゃないかと思います。

なぜかって、これだけAIだのデジタルだのにあらゆる職業がとって代わられると言われてはいても、保育士の仕事はロボットには代替えがきかないんだと思うんですね。例えば、目の前にケンカをする子どもの気持ちを聞いている側で、つまずいて転んでしまった子どもをなだめつつ、背後にはおしっこをもらしちゃった子どももいたりしながら、斜め前には‥と、いった具合にあらゆるセンサーを張り巡らせて心情を読み取ったり、優先順位を即座に判断して行動したりと、とにかく複雑過ぎるがゆえに、代替えがきかないんだと思うんです。

しかし、逆に考えると、複雑でない仕事は代替えがきくわけですから、おおよその人間が、こぞって代替えがきかない職業に集中していくことになるかもしれません。そうなると、職業インフラみたいになりかねないんじゃないかと思うんです。つまりは、あふれちゃうからこそ、賃金を上げる必要性がなくなっちゃうんじゃないかって。すこし補足すると“あふれる”ってことは、保育士を希望する人が増えるってことでもあるんだけど、これは本当に保育士になりたいと思っている人と、しょうがなくなりたいと思っている人が合わさっているからなんです。


こんな根も葉もないことを綴っちゃっていますと、「おまえは、保育士の価値を下げる気なのか!バカヤロー!」とでも怒鳴られてしまいかねない。なんたって、世間は保育士の価値を上げて賃金を上げようって旗を振っているんですもの。

保育士の価値を上げるためには、なんたって「保育士の専門性の向上」がもってこいの口上なわけですがね。ただ、ここでも足を引っ張るような発言になりかねないのですが、何をどう見繕って“専門性”と言うのでしょうか。新聞やテレビや雑誌などで有名な名だたる保育の専門家や、国の中枢機関にいる方たちの考える専門性を専門性と呼ぶのか‥とにもかくにも、複雑過ぎる仕事に、さらにどこぞの誰かが考えて呼ぶ専門性を引っ付けちゃって、さらに仕事は複雑さを極めていくわけですよ。

ここで、一度整理してしまうと‥賃金を上げようとする→専門性を上げようとする→仕事が複雑になり過ぎる→保育士のストレスは増幅する→退職者が増える→保育士が不足する→賃金を上げて就職者を増やそうとする、との図式が見えてきませんかね?

この図式が多少なりとも合っていれば、どこぞの誰かが考えて呼ぶ複雑極まりない専門性に従順かつ、ストレスに非常に強い保育士が増えれば増えるほど賃金が上がる可能性は残るってことになるのかな。ただ、そのような保育士って幸せなんだろうか?心から楽しんで仕事ができているんだろうか?って疑問がよぎっちゃいます。


さて、どん詰まりな保育士の未来予想になっちゃってますが、僕なりの解決策はちゃんとあります。それは「“ほどほど”にしていきませんか?」との提言です。

賃金も“ほどほど”専門性も“ほどほど”ストレスも“ほどほど”でいいんじゃないでしょうか。

なぜかって「子ども」の幸せ、心身の健康を守るためです。

あえて付け添えると、賃金を上げるために考えられた専門性は「大人が〇〇をしたら子どもは〇〇に育つ」との公式が大前提なわけですが、そもそもこの公式が正しいのでしょうか?また、そもそも専門性とは賃金を上げるために考えることなのか?

※本日のブログは、賃金を上げることへの批判でも無ければ、専門性を上げることへの批判でもありません。ともに「子ども」を置き去りにした議論にならないようにしないと、ね!って、確認の内容でした。誤解のないように宜しくお願い致します。もしもご意見やご感想などありましたら、副園長村上まで(←09X33715648)お気軽にお問い合わせください。


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あらゆるセンサーを張り巡らせながら
2022-09-22
風と土が混じり風土ができる

はじめに断っておきます。本日のブログはエンターテイメントの要素をふんだんに取り入れたものになる予定であり、子育てや保育や教育の話しにつながっていくのか定かではありません。なぜならば、先日のブログでお約束をしていた、婚活のお話しだからです。


クルマの車幅ピッタリ、すこしでもよそ見をすれば落っこちちゃうような道を進んでいくと、ある場所につきました。婚活会場となっているのは、山々を見下ろせるほどの山奥にある古民家。到着までを簡単には記しましたが、正直、この先、行き止まりでなかろうかと何度も不安になっていました。イベントへの参加に対するワクワク感ではなく、素敵な女性に出会えるかもとのドキドキ感でもなく、とにかく命の危険を感じる道中だったのです。

会場となる古民家のスタッフの方々は、この地で住居などの建築や田んぼや野菜作りなどをされているそうで‥無農薬での栽培や、地元の木々や竹や藁や石などを使った建築など、まるでタイムスリップしたかのような別次元の生活を送る方々でした。

イベント参加者も、そぞろに集まりはじめ‥そぞろと記したことにも訳あって、なんなら集合時間を意識していたのは僕だけだったのかと思うくらいに、そぞろだったからです。

だいたいの参加者が集まると、自己紹介をしていく運びではあったのですが‥お腹の減った参加者からの提案で、まずはお昼ごはんを食べることに。持ち寄りのおかずと、スタッフさんが作った、ご飯とお味噌汁。参加者のうち、有機栽培農家である方が次々と自家製野菜をふんだんに使ったお料理を提供してくださったり。電気を使わない生活をされている竹細工職人の方も、添加物の入っていない調味料を使ったお料理を提供してくださったり。本当に美味しいものを和気あいあいと食べると、それはそれだけで非常に素敵な時間になるわけです。

お昼ごはんを食べながら、なんとなくの自己紹介を済ませたところで、午後からは婚活イベントらしく、アクティビティのお時間。夕ごはんの準備をペアに分かれてしていくことに。夕ごはんのメニューはタコスと主催者の方が決めてくださっており、それぞれのパートごとにペアが分かれていきます。参加者の中で唯一、料理をふだん一切しない僕は、薪割りをすることになりました。ここで補足すると、決して薪割りが得意なわけでもなければ、薪割りなんて記憶のうちにした経験なんてないほどです。ペアに分かれて作業する時間には、ある課題が設けられていました。それは、自分の人生での分岐点を2つ、相手に伝えることです。(後に、ペアの分岐点を全員に伝言する時間が設けられました。自己紹介をペアとなった他者にしてもらうわけです。)

ちなみに僕のペアの方は、音楽業と左官を営んでおられる方で、分岐点の1つは最近のことに家が全焼したことだったと、記憶しています。またそれを、あっけらかんと淡々とお話しされる姿に、執着なんてものを感じさせるところがなかったことも記憶しています。(※スタッフ特製の自家製のお酒を気持ちよく飲み過ぎていると、途中から記憶が曖昧だったもので‥)

ほかの参加者で言えば、現代版百姓を目指している方や、ある島のなんでも屋を営むハンドパン奏者の方、薪カフェのオープンを控えている方、菌マニアの方、珈琲焙煎士の方、世界を旅する方などなど‥性別問わず、すべてが新しく刺激的な出会いでありました。


記憶はあいまいながらも、これだけは記憶に留めたいとの強い想いから、旅人である方の言葉をメモにとっていたので紹介してみたいと思います。

(僕が、旅人である方の生活を羨む、憧れるような発言をしたことに対してのお返事です。)

ー私たちのように無責任に思われるような自由気ままに生きている人は“風”の人。あなたのように責任感をもって地に足をつけて生きている人は“土”の人。世界に、風の人ばかりでは上手くいかないだろうし、土の人ばかりでも上手くいかないだろうし。風の人と土の人が混じりあって、その土地その土地の“風土”が上手くできるんだと思うよ。


イベント後に、ふと気づいたことがありました。イベント中、僕は時計を確認することはまったくありませんでした。なぜだろかと考えると、おそらくスタッフも参加者も“時間”を気にしていなかったから。時間やプログラムに追われることなく、焚き火の火を見つめながら、音楽を奏でたり聴きながら(バイオリンとハンドパンの即興合奏は最高でした)、美味しい食べ物や飲み物を、みんなでワイワイとする。婚活なんて言葉はどこへやらで、この時間を参加者みんなは豊かに味わっていたのだと思います。


さて、超が付く個人的な内容のブログでした。が、いずれ、とみほ村でも婚活イベントを企画してみたいと思っています。(笠岡市の定住促進センターの方に相談する予定です。)子どもたちとどのように接したり関わるかなんて、パートナー選びの際の1つの要素になったりしませんかね。企画が通ったあかつきには、時間を忘れるような素敵な暮らし体験をしてもらいたいものです。


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★園見学について・・・お子さまの入園を希望される方だけでなく、例えば‥いつか子どもを授かりたいと希望をお持ちの方や‥結婚を視野に入れているカップルの方や‥もちろん僕のように独身で子どもと遊ぶことが好きな方など、見学に決められた条件はありません。お気軽にお問い合わせください。

時間を忘れる裏の空き地
2022-09-21
プレミアムコースのご紹介⁉︎

たとえば、こんなふうに育てられるのはどうでしょうか?

■育ちに関する基本設計を作成します。

■マニュアルに沿って必要な要素を適宜投入します。

■無駄を省いたその子に最適な一貫性のあるカリキュラムで、効率よく基礎学力をつけさせます。

■個人プログラムとチームプロジェクトを並行させます。

■子どもの余裕に応じて個性を伸ばす自由課題にゲーム感覚で取り組ませます。

■泥遊びやキャンプといった自然体験を組み込みます。

■じゃれつき遊びやチームスポーツ、インプロビゼーションを取り入れたさまざまなジャンルの音楽に演劇、もの作り体験も組み込みます。

■地元の高齢者や障がい者とのふれあいボランティアも組み込みます。

上記で、すくすく育った若者は‥世界各国の若者とインターネットでつながって社会課題の解決に取り組み、持続可能な地球のために安全保障の問題や環境問題を解決していくでしょう。

と、さらに、ここでプレミアムコースのご紹介です。

■偶発性を組み込み、理不尽な体験や傷つき体験も回避できないようにします。

■それらを止揚して乗り越えていくことを課します。

■万が一の場合は救済カウンセリングもあります。

■途中で自分の好きな時期に休みを取って自由な時間を過ごす特別休暇制度もあります。


ブログ読者の方、いかがでしょうか?こんな保育園や学校に、我が子を是非とも通わせたいと思われた方もいるのではないでしょうか?もしくは逆に絶対通わせたくないと思われた方もいるのではないでしょうか?


このような、今の大人が考える良いこと尽くめの完璧なロールプレイングのような育てられ方で成功する子どもたちも一定数はいるかもしれません。でも、このゲームをクリアできる子どもばかりではないでしょう。

また、子どもたちの人生をこのように最後までうまくコントロールできる大人が多いとは思えません。

そもそも‥これほど大人の掌(てのひら)の上で踊らされて、子どもたちは自分の人生をわくわく生きていくことができるのでしょうか?

※参考文献「やりすぎ教育~商品化する子どもたち~武田信子」


とみほ村の富岡保育園、クレヨンKIDSには、園全体やクラス別のカリキュラムも無ければ、個人プログラムもありません。そして、見学される方がお見かけする、自由に遊んでいる姿も、もちろんカリキュラムやプログラムの内ではありません。大人が「〇〇ちゃんは、〇〇の時間は、〇〇の場所で自由に遊んでいいよ」と言うことはありません。トラブルやアクシデントもしょっちゅう起こりますが、これも全て予想外の出来事です。計画してトラブルやアクシデントを保育者が起こしているわけではありません。

なぜか?だって、わくわくして生きたいじゃないですか。子どもも大人も。もしも、生まれて死ぬまでの間、全て親や先生の立てた計画通りに生きることかできた方がおられましたらご紹介下さい。一度お聞きしてみたいです。「幸せでしたか?」と。


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★現在、とあるウイルス感染拡大により、富岡保育園は休園中です。御用の方がおられましたら、ホームページTOP電話番号又は村上まで→09X33715648

コースメニューにない遊びです。
2022-09-20
井桁容子先生のお言葉を紹介

連休最終日、台風が迫りくる嵐の前の静けさを感じながら。僕の命綱である“強さひきだす乳酸菌R-1”を届けてくださる牛乳屋さんと、よもやの小一時間ほど保育LABO前でUFO話しをお聞きしておりました。あれほどまでにUFOについて目をキラキラさせながら語る方に、なんだか久しぶりに会ったような気がしました。最近テレビ番組ですら、UFOや超能力であったりの非科学的な類いものはめっきり姿を消しているんじゃないかと思うんです。だとするなら、科学的根拠がなければ僕たちは信じることができなくなっているんじゃなかろうかとも思うんですね。それはそれで、なんだか寂しいような乏しいような気がしたりもします。


さて「見守る保育」を実践するにあたって、現場保育者から「子どもたちとどのような距離感でいれば良いのですか?」との質問をよくお聞きします。

ブログ読者が信じる信じないかは別として、本日は僕が毎度“ストン”と納得させられてしまう、非営利団体コドモノミカタ代表 井桁容子さんの言葉をご紹介したいと思いますので、参考にしてみて下さい。

ー全国の様々な保育施設で、0歳児の保育室をのぞかせていただくときに感じるのが、遊んでいるときの保育者と乳児の距離の近さです。入園したばかりで、環境や人に慣れていない時期に不安にならない配慮として意図的に近くにいるということではなく、園や保育室の雰囲気に慣れ親しんだ年度の終わりの時期でも見受けられる光景なのです。誤解を恐れずに申せば、実は、私はこの距離がどうにも気にかかるのです。保育者の乳児理解の幅や奥行きと関係しているのではないかと思っています。

(長文になりますが、頑張ってついてきて下さいね)

ー「何もわかっていない」「遊んであげないと遊ばない」「何が起こるかわからない」と乳児を捉えていると、「保育者の行為を見せる」「遊んであげる」「遊び方を教える」「危険から守るための介入」という理由から距離が近くなってしまうのではないかと考えます。安心と安全が保障された温かいかかわりのある環境が乳児にとって重要であることは間違いありません。しかしそれは、保育指針にも示されている通り、乳児が探索意欲を満たして自由に遊べる、また、のびのびと思いのままに過ごし、表現することができるための配慮であるはずです。保育者が、子どもの正面に位置し、接近した状態で一方的にかかわりをもつことが多すぎると、乳児は刺激のシャワーを浴び続ける受け身の立場になり、自分の興味関心と一致しない場合は、表現することや探索するに意欲をあきらめてしまうことがあります。そして、そのような状態が頻繁に起こる0歳児の保育には、乳児の行動に一つの共通点があります。

(さて、ここからが井桁先生の言わんとすることだと思います)

ーそれは、一日の中で保育者の動きを目で追う時間が圧倒的に多いことです。保育者の動きが、乳児自身の生活に様々に影響することを感じ取っているゆえの保育者へのまなざしと私には見えます。本来は、たとえば、窓の外の木々のざわめき、光、風、友達の遊びや保育室にある様々なおもちゃなど自由に見たいものに目も気持ちも向けていてもいいはずなのです。しかし、残念ながら保育者の存在や一挙手一投足を常に意識して目で追うほうに感覚を使って、暮らしているのです。

(僕も含めた保育者にとって身に覚えのあるようなお話しを、井桁先生は丁寧に説明してくれています)

ーそのような園では、常に保育者を求める、そばにいないと不安を感じるようになっていることを「愛着関係が成立している」と保育者が捉え違いをしていることもありました。さらには、その姿から保育者の指示に従えるようになる集団生活の土台作りができたと考える保育者もいます。0歳児の保育は、集団生活の基礎作りのために必要とされているのではないことをここで確認しておきたいと思います。


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2022-09-19
安心と安全のセットは嘘!?

ブログ読者の皆さま、台風の影響はいかがでしょうか?岡山県笠岡市富岡保育園でも、お庭に置いてある飛んでいってしまいそうなものは片付けたりしながら対策をとっているところです。

また僕の住所のあるところでは海がすぐそばであることから、消防団活動として土嚢を作り置きしておいたり、警備をすることになった場合の懐中電灯の電池交換や、飲み物や食料の補充などを行いました。

心配ではありますが‥台風の場合、地震や火事のように突然ではなく猶予があるため、知り合いたちと顔を合わせながら対策をとることができます。この時間は完璧に防ぐことは出来ずとも、心配を和らげる(安心材料)ひとつの要素になるんだと思います。

皆さまくれぐれも安全にお過ごしくださいね。

さて、上記の終盤の文章にすこし“違和感”を見つけて下さった方いますでしょうか?せっかくなのでツッコミを入れてやって下さい。

「いやいや、安心したからって、安全ちゃうやろ!」


その通りです。“安心”と“安全”はまったく別ものですよね。

“安心”とは要するに、ホッとしているときのこと。気楽にして油断していたりもするかもしれません。つまりは、気を抜いているんだから危ないかもしれないじゃないですか。

次に“安全”とは‥客観的に、ものの性質として、危険がない状態のことを指すとします。主観的な“安心”とはまったく別ものです。

だとするなら、「安心は安全」と信じるのは、とても危険だよねってこと。

じゃあ逆に「安全は安心」なのかと言えば、これも相当に疑しいところ。なぜかって、世の中に「絶対の安全」は存在しないからです。

「安心・安全」をセットで使うときって、その裏側には“誰かに安全性を見極めてほしい”“誰かに安心させてほしい”といった、「人任せな心情」が見え隠れしているときでもあることも付け加えておきましょうか。

国や行政に丸投げすることなく“自分で考える”ことが、やはりとても大事ですよね。その際に、『本当に気になること』と『どうでもいいこと』の取捨選択をすることが鍵を握るんだと思いますよ。


台風が通り過ぎるまでは、やはり一定の心配をしておきながら、テレビやネットからの情報にアンテナを張り、また実際に雲の動きや風や波の強さを確認できる範囲でしておくことが、安全対策だと言えるかもしれません。

※参考文献‥『京大変人講座』「安心・安全」が人類を滅亡に導く 法哲学 那須耕介


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2022-09-18
道具から楽器へ生まれ変わる

Q.2022年度上半期、富岡保育園の保育実践で変化したことはありますか?


A.いくつかありますが‥目に見える大きな変化の1つとして「子どもがピアノを弾けるようなったこと」が挙げられると思います。

ピアノのレッスンを取り入れていると誤解を招いてしまうかもしれないので、詳しく説明していきますね。

保育園でのピアノの存在と言ったら、一般的には、先生が子どもたちに歌を歌わせるためのもの、と言っても過言ではないんだと思います。

富岡保育園でも数年前まで、毎日、朝と帰りの時間、年齢別のクラスごとに、ピアノの周辺に集まり、季節の童謡などを歌う(歌わせる)ために、先生がピアノを弾いていました。

つまり、ピアノは大人(先生)が触る(扱う)ものであって、子どもが触るものでない、との風潮がありました。

富岡保育園でも2017年から始めた保育実践改革が進めども、この風潮は残っていました。

決まった(大人が決めた)時間に、決まったクラス分けで、ピアノの周辺に集まる場面は、ほとんど無くなりましたが、そのぶん大人のピアノ活用機会は自然と減り、ほこりをかぶるようになっていました。

もともと、ピアノに対しては、音の存在感が強く、大きく重く手軽に持ち運びできない要素があるため“子ども主体”の保育には不向きな楽器だと感じるところがあったので、ほこりをかぶろうと気にはなっていませんでした。(※保育者養成校でピアノを必修科目とする国は日本くらいだそうですよ)

ただですね、ここで注釈を加える必要があるとすれば“子ども主体の保育に不向き”と記しましたが、これって大前提に「ピアノは大人が触るもの」だとの認識からきているんです。子どもに歌を歌わせる、子どもを一斉に集める、そんな道具としてのピアノなんです。

しかし、2022年度上半期、富岡保育園では「ピアノは大人が触るもの」という大前提がひっくり返りました。また、歌わせる、集める、そんな道具としてのピアノから、本来の【楽器】としての存在に生まれ変わりました。

生まれ変わったきっかけと言えば‥実習生の部分指導日の出来事。その日はピアノで弾き歌いをする予定になっており、年齢問わず、数人の子どもがそぞろに集まっていました。ちなみにそのほとんどの子どもは、実習生のことが大好きだからという理由で集まっていました。弾き歌いが始まると、一同仰天‼︎と言えば言い過ぎたかもしれませんが、その流れるような手捌きから繰り広げられるメロディーに、集まっていた子どもだけでなく、外で遊んでいた子どもたちも集まりはじめ、うっとりと感動していました。そしてその感動が、憧れに変わったことは言うまでもないでしょう。「わたしも、実習生の〇〇先生みたいに弾いてみたい!」と強く想うようになったんです。

その強い想いを鋭くキャッチした現場保育者が、はじめ、自分と集まってきた子どもを交えてピアノを弾きはじめました。ご想像の通り、バンバンバンと無茶苦茶に弾く子どももいましたが、実のところほとんどの集まってきた子どもは、憧れる実習生の手捌きを模倣してか、流れるように指をひとつひとつ動かして音を奏でていたんです。


ただ、ずっと現場保育者がピアノに常駐しているわけにはいきませんよね。子どもたちのピアノへの関心は高まるいっぽう、現場保育者がいない場面でも弾きたかったのです。

ここで浮かび上がってくるものと言えば‥以前から残っていた前提のようで風潮のような「ピアノは大人が触るもの」から出てくる「子どもが勝手にピアノを使ったら危ないじゃかいか」との問題点です。

この問題点をクリアしない限り『ピアノに興味や感心のある子どもが自分の好きな時間にピアノを弾くこと』な叶わないんです。

ちなみに、現在、富岡保育園では叶っているわけですが、どのように問題点をクリアしたかがブログ読者は一番気になるところだと思います。

ここで、すべてを公開しても良いのですが‥もちろん一朝一夕にできたわけでなく、現場保育者たちの試行錯誤の賜物なので、あえてここからは内緒にしておきたいと思います。

※どうしても気になる方は、岡山県笠岡市富岡605富岡保育園までお越し下されば、現場保育者たちが、村上のようにもったいぶらずに教えてくれると思いますよ。

※キーワードとなるヒントは『子どもを信じる』です。


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憧れはつながるもの
2022-09-17
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